2011年11月30日水曜日
孫子兵法を読んでみた。
「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」などの名言で知られる『孫子』。春秋時代の孫武が著わし、二千年以上も読み継がれた名高い古典は世界最古の兵法書として、また人間界の鋭い洞察の書として親しまれ、今日もなお組織の統率法や人間心理の綾を読みとるうえで必携とされている。本書は、従来の宋時代のテキストより千年以上も古い前漢武帝時代の竹簡文に基づく精密な唯一の解説である。
孫子兵法を読んだ。
中国に留学している時、原文と現代中国語訳で読んだことがあったので今回は日本語での挑戦。
読んでみても、なんで日本で孫子兵法がこんなにも持て囃されているのかよくわからなかった。
正確に言うと、なぜビジネスの世界でそれが持て囃されていたのかという理由がわからないという意味。
僕の中で孫子兵法のエッセンスを抜き出すと次の3点になる。
1、できるだけ情報を集めろ。
2、情報をうまく使え。
3、相手にペースを握らせず、自分のペースに持ち込め。
全くもって現代でも通じるポイントだ。
でも、現代では情報を集めるのは簡単になったし、情報をうまく使う、ペースの主導権というのは経験や天賦の才能に負う部分が大きいと思われる。
っということは、現代で必要になる技術は如何にして情報を選択し、分析して活用するか。
確かに、あの時代であれだけの体系立てた書物はなかった様なのですごいというしかない。
だけど、やっぱりイマイチよくわからない。
どうやればその技術を身につけられるのか。
ので、他の本もあわせて読むことにした。
敵に勝つだけではなく究極には己に勝つこと卓越した戦略家的素質と隠者的性格を合わせもつ孫武と、復讐に憑かれた伍子胥。骨肉相食む戦乱の諸王、将軍、刺客等の人間群像を独自の解釈で鮮やかに甦らせる。
この本は孫子兵法の作者と言われている孫武の人生を描いた作品だ。
この小説の作者がいきいきと孫武の特徴を描くので、かなり楽しく読めた。
孫子兵法が書かれた理由、孫武は実は争いごとが嫌いだったということ、伍子胥や呉王との関係、周辺の列国、時代背景等が詳細に書かれているので、あたかもあの時代に入り込んだような気持ちになった。
そして、僕としては下巻の孫臏編のほうが面白く読めた。
「兵法家と兵学者は違う」孫武の時代から約150年後、後孫にあたる孫臏は龐涓の影響で兵法のおもしろさに目覚めた。やがて魏につかえ大将軍となった龐涓を訪ねた孫臏だが、その才能に嫉妬し恐れた龐涓の残酷なたくらみに嵌ってしまう。かつての友への復讐と兵法家としての意地を賭けた最後の戦いが始まる。
孫臏は初め外で狩りをして過ごすのが好きだった。そこからアマゾンの解説でも書かれているが、龐涓に出会い、先祖が書いた孫子兵法を読んで読書に目覚める。
僕がなぜ下巻の方に惹かれたかと考えたところ、彼の生き方の中にその技術を習得する方法が書かれているように思えたからである。
そして、孫臏と龐涓との両者を描いていることによって、より鮮明に技を習得するために適した心理状態を知ることができた。
ここで言った心理状態はすべての場面、技術、学問において共通して大切だ。
そしてその心理状態が、両者の学ぶ目的を決定し、物の見方を変えていく。
もし興味があれば孫子兵法だけではなく、小説の孫子も合わせて読むことをお勧めしたい。
さて、話は変わってこれを読んだ後、僕は現代にどのように、しかもビジネスの場面でどうやって生かせるのかを考えてみた。
っで、昨日の夜ビールを飲みながら布団に寝っ転がって妄想を繰り広げた。
でも、どの場面か、という具体的な場面がよく浮かんでこない。
いろいろ考えた挙句、考えついたのが口喧嘩についてだった。
我ながらアホな展開やと思わざる得ないが、口喧嘩と言っても千差万別。
ただ憎悪だけが先行した口喧嘩もあれば、相手に自分の意向を伝え、相手を動かすための口喧嘩。
前者は普通の口喧嘩。
後者は口喧嘩というより交渉と言ったほうがいいかもしれない。
なぜ口喧嘩を考えついたかというと、孫子兵法を自体が戦争を扱って書いたものだから、それに一番近い形で、しかも僕が実際体験したことじゃないと、よくわからんまんまやと考えたから。
でも、口喧嘩の2つの違いも戦争でも同じなような気がする。(昔の戦争では)
まずひとつが、復讐や憎悪による戦争。
もう一つが、ある目的のための戦争。
現代ではさすがにひとつめの戦争はなさそうなのだけど・・・・どうだろう。
っとこんな感じに僕は頭の中で展開していった。
では、話を口喧嘩に戻す。
所謂、普通の口喧嘩。
僕は平和主義だし、争いごとには関わりたくないけど、孫子兵法を少しわかった気になるために、そこらへんの飲み屋で口喧嘩してくる・・・ほど勇気はないので妄想する。
まず、口喧嘩での勝利とはなんなのか。
相手をコテンパンに言い負かして、プライドをギタギタにすることなのだろうか。
もちろん、日本人はお互いに気を使いあう民族だし、いい大人がそんなことのために時間を使うなんて相当なことがない限り滅多にないだろう。
そこまで考えて、僕はあることを思い出した。
それは、以前中国で口喧嘩というか、そんなものをタクシーの運転手に吹っかけられたこと。
いや、僕だけじゃなくて日本人の留学生なら誰でも同じような経験があると思う。
そう。日本の侵略問題がその時の論点だった。
タクシーの運転手は日本の侵略問題についてどう思ってる?っと聞いてきた。
こういう時の運転手は2タイプいる。
ひとつは、ただ日本人がどういうふうにその時のことを考えているか知りたい好奇心だけのおっさん。
もう一つは、日本人が昔した侵略問題を手に振りかざして、説教をするタイプ。
どっちが多いかはわからないが、両方共結局のところ面倒くさい。
僕は最初の1年間、この問題がよくわからず、ただ説教されるだけ、頷くだけを貫いていた。でも、毎度毎度のことのように聞かれるとイライラしてくる。
俺は日本人だが、その時代に生きてもいなければ、興味すらねーんだ!
しかも、こっちは金払ってタクシーで移動して、なんでお前の話になんか付き合わなくちゃいけないんだ。逆に時給払え!!
だから、僕は知識武装してタクシーの運転手と戦うことにした。
その時に孫子兵法を読んでいれば、こんなバカな行動は取らなかっただろう。
僕は、インターネットで日本の侵略問題について調べた。
そして、その中でまだ歴史的に証明されていない部分、相手が認識していることが事実と違う部分を洗い出した。それ以外にも、中国とスーダンの問題。彼らは戦争を批判しているのに、中国がいましていることは間接的に戦争に関与しているんだぜ!っという情報等を揃えて、中国語の表現を考えて・・・・
そして、決戦を挑みにいざタクシーへ!
いつもとは違い、相手の穴を探し、準備した武器を有効に使えるタイミングを探った。
そして、相手のおっさんも僕が聞き役に徹していると見るや、感情を込めて唾をボンネットに飛び越えん勢いで喋り立てる。
そして、ここだ!っと思うポイントで相手のおっさんの話を遮り、僕の武器を振りかざした。
そして、相手の今まで思っていた歴史観の問題点、論理の欠如、推理の幼稚さ、果ては中国の今抱えている問題にまで突っ込んで斬りかかった。
おっさんはタコのように真っ赤になって、怒鳴りだし、唾も僕の顔に噴射させてきた。
このおっさんの先祖はタコやったと、今飛んできたのも唾やなくて墨やと、変な攻撃で脳内を荒らされた。
おっさんは僕が調べてきた内容について大いに不満で、まったく根拠がないということを言っている。
っで僕は運ちゃんが言っていることも別段根拠はないし、それ以上に他の問題でいろいろと中国を攻撃してやった。その上で、運ちゃんという社会的な弱者がなにを言っているんだというような意味合いの言葉も投げてやった。
ここまで来ると、なんて性格の悪いやつだ!根性が腐っとる!っと思われるかもしれない。
しかし、当時の僕はずっと日本人を馬鹿にされてきた怒りで冷静にモノは見れなくなっていたし、何よりも日本人だって反撃するんやぞ!っというところをたまには見せないといけないっと考えていた。
もちろん、今ではそんな面倒くさいこと真っ平御免だし、なにより争いごとが嫌いだ。
おっさんは既にかなりヒートアップし、ハンドルをガンガン殴り、プライドと尊厳を一元の価値もないくらいに言われたので、既に話ではなくて、すべてが罵倒に変わっていた。
こりゃー困った。
僕としては、子犬のように運転手がシュンっとなる姿が見たかったのであって、逆上されて今にも殴りかかられそうな状態に自分の身を置くなんて考えてなかった。
幸い、すぐに目的地についたので無傷で済んだ。
僕も懲りずに、何度かこれと同じことを他のタクシーの運転手に仕掛けたことがあったけど、何度かやるとだんだんと面倒くさくなってきた。
いや、何よりもいつ攻撃されるかわからん!っという恐怖があった。
一応、口喧嘩的には僕のほうに分があったようで、大いにタクシーの運転手をコテンパンにやってやったと思った。
一度目は確かに、怖かったけど、見返してやった!っという自己満足があった。
でも、何度かバトルごとに、だんだんと味気なくなってきたし、なによりも怖い。
そして、僕は面倒くさいし、もうやめよーっと思って以後やらなくなった。
このバトルを孫武のように僕は評価してみたい。
まず、勝利の意味が不明確すぎる。
おっさんのプライドをボロボロにして何の意味があったのか?
この勝利が何をもたらすのか?
自己満足のために相当無駄な労力、時間を使い、危険もかなり背負った。(いつ殴られるかという恐怖もあった。)
100点で採点すると3点くらい。
メリット:
自己満足。
日本人としての尊厳。
デメリット:
面倒くさい。
時間の無駄。
危険。
タクシーの運ちゃんは二度と日本のことを好きになることはない。
そして、日本人としての尊厳っていうメリットもかなり不明確。
これを機に運ちゃんが日本人を認める、っという考えに行き着くわけがない。だから、結局これも、自己の中での尊厳を保てたに過ぎない。ってことは、自己満。
こうやって考えると、最初に提起した勝利とは?の問題で考えた勝利は全然ありがたくない勝利だということがわかった。
こうやって、タクシーの運転手と喋ることすら面倒くさくなっていたのだけど、ある時からまた話すようになった。
そして、この時はもう既に知識武装でやっつける!っという考えではなくなっていて、お互い尊重しあって、誤解を解いていく。っという目的を持って問題を話すようにした。
そうすると、運ちゃんも大満足で、日本人にもええやつおるんやな!みたいになった。
あの年代(40代くらい)は結構その問題に敏感で、日本人は最悪な民族!っと今だに思い込んでいる人もいる。それを少しでも変えていくという目的をもって話す。
こうすることによって、最初の喧嘩よりも非常に後味のよい喧嘩ができた。
そうやった後なら、いろいろ有益な話も聞けるし、憎悪も残らない。
もちろん、僕はただ媚を売っていたわけでもなくて、自分の意見をはっきりと言ったし、相手のプライドを傷つけるようなことはいわなかったし、相手の話にはしっかりと耳を傾けて理解を表した。
実際、こうやったほうが日本人はちゃんと中国のことを考えている!っという印象を持たせ、今までの日本人に対する怒りも冷ませられるんじゃないだろうか。
孫子兵法だと、ボッコボッコにできるように周到に準備すると書いてあるけど、あれは戦争。
僕がしてたのは、コミニケーションなので、何が優劣なのかの判断は自ずと変わる。
こうやって考えると、今なら何がベストの言い方で、目的は何がいいんだろう??
いや、あれはコミニケーションなんだから、両方共勝利、つまりWNWINの流れに持っていけるのが本当のコミニケーション上手やな!
なんてことをビール飲んで考えてた。
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