2012年1月31日火曜日

バイト終了、そしてニートへ

昨日、最後のバイトに行って来た。

アジ研で一緒に仕事させてもらった人には感謝のことばしかありません!どうもありがとう!

中国人の友達もでき、職場環境も最高だったので、一月に一度くらいは暇を見つけて本でも読みに行こうかなっと思ってます。



さて、バイトをやめてなにすんだ?って考えた。

まず、神戸に帰って遊ぶ。

お金があれば、中国にふらっと行きたい。

英語と課題図書を読む。


これくらいしかない。

中国に行く!ってのは、お金が許せば、なので確実ではない。
ただでさえ、大学院で上京するので少しお金を節約しなくちゃいけない。

そうなると、一番目と三番目しかない。

これは。。。。所謂ニートじゃないか!!!


っということで、晴れてニート生活を4月まで堪能したいと思います。


えーっと。本も何冊か読みました。
それについては、また後日やっつけたいと思います。


本日の名言

FATA REGUNT ORBEM! CERTA STANT OMNIA LEGE
(不確かなことは、運命の支配する領域。確かなことは、法という人間の技の管轄)

byローマ人の物語より

2012年1月26日木曜日

一橋のオリエンテーションに参加してきた。

今月22日の日曜日に、HMBAについてのオリエンテーションが開かれた。

これについてはすぐにアップしようと思ってたのだが、帰ってきてすぐに風邪を引いてしまった。
高熱と戦うこと3日ほど、ようやく熱は引いたのだが、オリエンテーションで説明してもらったことを、すっかりさっぱり熱と共に飛ばしてしまった。

だが、幸いなことに、M1の学生及び先生方が準備してくれた資料を基に、なんとなーくだが、脳内の復元ができそうなのでやってみることにする。



まず、開催場所はマーキュリータワーだった。
マーキュリータワーって、また凝った名前にしたもんだなーっと思った。
マーキュリーっとは、ローマ神話に登場する商業の神で、そんな神にあやかった形で名前をつけたのか、また粋なことをするぜ!一橋!っと鼻から息がフガフガっと出た。
なんせ商業の神を建物にしてしまうんだから!!トーマスか!!くらい、フガフガなる。


そんなトーマスタワーで、2時からスタートしたオリエンテーションは、まず2名の教授によって説明がなされた。沼上幹教授と加藤俊彦教授。


二人とも強調していたことが、死ぬほど忙しいということだった。
「まずは体力をつけて、家族の理解を得ましょう。」
家族の理解って・・・(笑)
なんて思っていたが、実際にある学生の予定表がPPTでスライドされて、冗談ではなく、現実的に考えて必要な前準備だということがわかった。

無断だけど、その予定表をこっそりのせてしまう。



ここで、GWが多いことに気がつく。
僕は最初GWだから、ゴールデンウィークかなんかか?っと思っていたのだけど、日中にゴールデンウィークを突っ込んでくるわけがない!っという推理の元、グループワークに行き着いた。

それにしても、GWが多い。
この予定以外にも二つほど予定表を見たけど、大体がこんな感じだった。
そして、教授曰く、この人が特別がんばってるわけではなくて、ほかにもこんな学生はたくさんいます。

なるほど。
だけど、僕は睡眠をとらないとやっていけない。一日6時間は必要だ。
参った。。。非常に参った。。。

オリエンテーションでも、若いからいけるぜ!的なオーラが悶々と立ち込める中、みんなこの予定表について、至極当然、HMBAの学生だったらこうだぜ!っをかもし出していた。

いや、望むところだ!!っと言ってやりたいが、GWってのがよくわからない。

GWってのは、そんなに時間をかけてやるものなのか!?
っというか、実際のところ、みんな寝てなくて、意見がそんなにさくさくまとまるのか。。。
もちろん、「寝てないからえらいわけじゃない」っという教授の言葉は聴けたが、その後の在学生主催による飲み会では、さぞ寝てないことを強調して「M1は気合入ってるぜ!!」っと、僕みたいな小心者は、それだけでもう眠くなってきてしまった。

しかし、とあるM1の学生がなぜGWでこんなにがんばってるの?っという質問に対して答えた内容が、「なるほどなー。プロフェッショナルだわなー。」っと思わせてくれた。

その答えとは、
「確かに、GWを徹夜してまでする必要はないんです。でも、いいものを作りたいって気持ちが、ここで終わり!ってラインを先延ばしにしてしまうのです。だから、提出ぎりぎりまでやってしまうことが多々あります。」

いやーこの答えには痺れました。
そして、同時に恐怖しました。
この2年間を無事に、そして健康な体で終わらせることができるのかと。


それにしても、時間がなさそうで怖いな。
だけど、よくよく見てみると、学期中ってたった4ヶ月しかない。
両方合わせて、8ヶ月。プラス4ヶ月は夏休みと冬休みになる。

この長期休みをどう使うか、っが勝負の分かれ目だと感じた。

それにしても、例えば金融プログラムが提供している短期の(10日ほど?)海外研修の費用がべらボーに高かった。たった10日間、中国に行ったりするだけで15万もとる。
これだったら、例えば語学のためとかなら、絶対に自分で探した方がお得だ。

金融プログラムには非常に興味があるが、その短期の研修で何が得られるのかは非常に不透明。
あの説明だと、小学生の郊外学習程度のものしか得られないとしか思えない。

如水会を通じてOB、OGに出会える魅力についても語っていらっしゃったが、僕のような青二才が行った所で、私自身に利用価値がまったくないので、出会い損になってしまう可能性のほうが高いだろう。

でも、すごい楽しそうな写真があったので、お金に余裕があれば、行きたいな♪
特に、中国に行きたい!!ツアー旅行で中国に行ったことがないので、そんなお遊び気分で行くのも悪くない。ただ、何かものすごいものを得よう!なんて気持ちでは行かないほうがよさそうだった。



ところで、僕は、この長期休みをフィリピンで過ごそうと考えている。
やはり、ビジネスでの共通言語といえば英語。
そして、リーズナブルに学べる場所がフィリピンだ。


っで、僕の一押しがラングリッチによるフィリピン留学

まず、安い。
そして、毎日勉強マンツーマンで学習できる。


これを夏と冬に行けば、つまり二年間合計で8ヶ月の留学が可能となるのだ。

就職活動とかを考えると実質6ヶ月になるかもしれないが、とりあえずマンツーマンで毎日しゃべって、プラスオンライン学習も追加でし、学校の授業も英語でいくつかとれば、かなり英語力は上がると思う。


在学生の方が、英語は下がる一方だ。。。っと嘆いていたが、しっかりとその現状を分析して、うまく隙間時間と習慣を作っていけば、英語力をアップすることも可能だと思う。(僕はGWをすでに多少は犠牲にしようと考えている。。お怒りを買いそうだ。。。)



先ほど話したGWに話を戻すが、GWですべての力を使ってしまうのではなくて、うまく力を分散して自分の目標にもウェイトを残す必要がある、と僕は思った。

確かに、ひとつの課題を納得がいくまでやる!って心意気は粋で、かっこいい。
ただ、その課題を徹夜でやり通すのと、徹夜でやらないとではどう違うのかが僕にはわからない。(もちろん、僕も実際その授業をまだ受けていないので、なんとも言えないし、4月からひーひー言ってるかもしれない。そして、やっぱ粘ってやったほうがいい作品ができるなー!なんていってるかも知れない。小生は馬鹿なのでご了承。)


しかし、その課題がひとつの作品だとして、いいものを作り上げて、最後の最後に自分という作品は本当に最高の出来なのか!?っと疑問を抱いてしまう。

なぜなら、まず、HMBAに入ってくる学生は何かしら、危機意識、目的意識を持って入ってきた学生だと考えられる。その目的を、日々のタスクに追われて、この二年間で達成すべきこと!っとして作った自分の目標を、簡単に忘れてしまわないだろうか。

僕は、お馬鹿で、純粋に頑張った!というものにすぐに満足してしまう癖があるので、これは本当に最新の注意を払ってこの2年間を過ごさなければならない。さもなければ、このGWっていうものに自己満足を求めて、当初持っていた目標をさっぱりと忘れてしまう。

この古典精読とやらに、最初は疑いの目を持ちつつも、だんだんとその満足感に浸ってしまい、教授に最高の出来だぜ!っと言ってもらえることを目標にし、それを言ってもらうために授業に精を出し、当初の目標を見失って、ただ思考力がある目標なしになりそうだ。

まあでも、最初の1学期だけだし。。。。どっぷりはまってみたいな。。。


なんて感じで、もう自分の中でも矛盾でやりきれないのに、文章にしてしまうと、何を書いてるのかすらわからない。これを読む人は、解読をしてるくらいめんどくさいことになってるんだろうな。ごめんなさい。


っとこれ以上書けば、もっと何を書いてるのかわからなくなりそうなので、とりあえずこれで終了。

オリエンテーションでわかったことは、HMBAは大変そうだってこと。がんばろーっと。


熱意があるように降る舞え、そうすればすべての行動に、自然に熱がこもるようになるだろう。
byD.カーネギー

2012年1月20日金曜日

坂之上の雲第一巻。




以前読んだ坂之上の雲第一巻をもう一度読んでみた。中国にいる際に、一度全巻読んだけど、もう一度読んでみたくなったので、一巻だけブックオフで購入して読んだ。

僕は、司馬遼太郎の本と出合って小説が大好きになった。でも、この小説を読み始めのは、司馬遼太郎の本を結構読んでからだった。

最初は、幕末の歴史を中心に読んでいたので、幕末の人物や出来事については、わざわざ辞書を調べなくても大体はわかるようになっていた。


坂之上の雲は、明治維新の後から日露戦争終了までを描いた作品だったので、関連知識がないから面倒かも、と少し先延ばしにしていた。

しかし、一度読み始めると、司馬遼太郎の文章に耐性ができていたのか、関連知識がなくても、すいすいと小説にのめり込むことができた。



僕は、悩みがあったり、壁にぶつかった時には、小説から何かヒントを得ようとしている。脳の中に、司馬遼太郎が描いてくれた人物を同居させ、彼ならどのような選択をとるだろう?と言う風に、いつも助言を求める。


その人物を鮮明に脳内に存在させるためには、時間と共に変化する脳にあわせて(これがあるから一度目に味わえなかった文章を味わえるのかもしれない。)、お気に入りの小説を再度読む必要がある、と僕は思う。



今回も先日活用したポストイットをバコバコ使うというやり方で、ストレスフルに興味深いセンテンスをマーキングしていった。




話は少し脱線するが、以前声に出したい日本語?なる書籍が巷で流行ったと思う。読んではいないのでわからないけど、実際のところ、声に出して暗誦したい日本語ってことだと解釈した。(本当に勝手な解釈法だ)

それなら、司馬遼太郎の興味深いセンテンスも僕は声に出して暗誦したい。




僕は自分でも自覚しているが、かなり日本語が下手っぴだ。しかも、たまに手がつけられないようなオバカなミスもする。たとえば、「油揚げ」を「ゆあげ」と読んでしまったり、「青果」をなぜかわからないが「りんご」と読んでいたり(これは2週間前に)。。。


その原因は、小中高とまったく本を読まなかったのと、わからない漢字がでても、辞書を調べずに中国語で読んで誤魔化したりしたからである。


普段しゃべっている時なら、「お前アホやん!っぷ」♪くらいで笑って済ませられるが、仕事等のフォーマルな場でそのような滑稽さを出してしまうと、「え。。。?」と少し気まずい空気が流れて、「こいつに任せて大丈夫か?」となりかねないように、最近思えてきた。


そんな理由から、たまには声を出して暗誦する文章をピックアップしなけりゃなーっと思った。


ポストイットで記録した箇所

子規の筆写癖は終生のもので、後年、革命的な俳諧論を展開するにいたったのも、かれが克明に江戸時代の俳人の作品を写し取っていたそういう手の作業のなかから思考がうまれてきたらしい。


好古は、質問の本意をきいた。質問の本意も聞かずに弁じているというのは「政治家か学者のくせだ」と好古はつねに言う。軍人は違う、と好古はいう。軍人は敵を相手の仕事だから、敵についてのその本心、気持ち、こちらに求めようとしていること、などをあきらかにしてから答えるべきことを答える。そういう癖を平素身につけておかねば、いざ戦場にのぞんだときには一般論のとりこになったり、独善におち入ったりして負けてしまう、と好古はいうのである。


青春というのは、ひまで、ときに死ぬほど退屈で、しかもエネルギッシュで、こまったことにそのエネルギーを知恵が支配していない。


真之にいわせると、「考え」というものは液体か気体で、要するにとりとめがない。その液体か気体に論理という強力な触媒をあたえて固体にし、しかも結晶化する力が、思想家、哲学者といわれるものの力である。








本日の名言
話題にしようと思っていることについて、もっともっと学ぶこと。
知れば知るほど、一層真剣になり、情熱を燃やすようになる。

byD.カーネギー

2012年1月17日火曜日

ポストイットが安くて便利だ!読書の友にぜひ!






















最近、僕はポストイットを使い始めた。こんなミーハーアイテム使えるか!!っという奇妙な考えがあったから、こんな便利なものを今まで使っていなかった。

今までは、本を読んでいて ”グっと来た” ところは、毎度毎度ノートを開いて、書き写していた。

しかし、これだと周知のとおり、さっきまで本によって火照っていた脳みそはクールダウンしてしまい、もう一度本にのめり込むまでに少しの行数を必要としてしまう。

その行数は、あたかもお供物のように、ウォーミングアップのために犠牲になってしまうわけだ。

しかし、ポストイットを使うと「後回し」ができ、エンドレスに脳内にアドレナリンを送ることができるのだ。

しかも、図書館で借りた本にも取り外しが可能なポストイットなら気兼ねなく貼りまくることができる。

そんなポストイットはダイソーで買えるのでかなりリーズナブルなのだ。


ついでに、僕はダイソーで専用ケース(本来は判子ケース)も一緒に購入した。以前は、筆箱の中にポストイットをぶち込んでいたのだけど、ぐっちゃぐっちゃになって、一気に使う気を削がれた。このケースがあれば、なんかかわいいし、かわいいし、キュートなので、やる気が出る。

しかし、電車とか移動中にこの箱を取ろうとすると、僕の大事なポッキーとか、グミとか、クッキーをひっかきまわさなければ出てこない。

だから、移動中は、本の始めの一ページ目にいくつか貼り付けておく。それで、使いたいときにポストイットしちゃう。

いやー便利だ。


注:
そんなもの前から使ってるわ!と言われると思う。ただ、僕にとっては新しい発見だったので、自分の記憶として記録しておきたい。もっと独創的な使い方が知りたい方は、ググって探してください。ほんっといろいろありますので。


本日の名言

確固とした自負心のみが、劣等感に悩むという「地獄」に落ちるのを防ぐのだ。
そして過度の劣等感ほど状況判断を狂わせるものもないのである。
byローマ人の物語より

2012年1月16日月曜日

シルクロードの滑走路

久しぶりに黒木亮の作品を読んだ。
黒木氏の小説は、図書館で直ぐに借りれないため、今回はなけなしの金を叩いて、ブックオフで購入した。
今回からは、ポストイットもバンバン使って、もう一度読みたい文章や、勉強になる一文をピックアップしながら読み進めた。





その箇所を以下に、キーワードだけをメモしておく。
1、ケマル・アタチュルク、トルコの英雄
2、キルギスという単語は、「四十」を意味するクルクと、「娘」を意味するグズからなる。
3、モンゴルやキルギスタンでは、家督は男の末子が相続する。
4クルド人 :独自の国家を持たない世界最大の民族集団
5ウラジオストクは、ロシア語で、東方を征服せよの意味


こうやって、見てみると、まったく金融関係の言葉をチェックしていない。

正確に言うと、いくつかチェックしたけど、あまりにも文章が長くて書く気になれなかった。

この本では、航空機ファイナンスを主軸にして物語が進むので、わからないところもいくつかあった。

ただ、航空機ファイナンスも、「青の蜃気楼」で使われていた<特別子会社>を、用途が違うだけで、ほぼ同じ仕組みで使っているんだなというのがわかった。

つまり、この<特別子会社>という制度自体が、ファイナンス組成する上で、非常に便利で、なくてはならないツールであるということだ。

それにしても、黒木亮氏の小説は、上記のチェックメモを見てもらえばわかるように、いろいろなうんちくが含まれている。

読んでいて、非常に面白い。

実際、彼の作品を読む理由が、経済事情を知るという事意外に、舞台となる国の情勢や歴史を知れるからだ。

歴史の教科書からは、実際の感触がまったくといって良いほど伝わってこないが(文科省の指定範囲を網羅するためには仕方ないのか。)、小説という媒体を通すことによって、その質感を感じることができる。

この小説では、キルギスタンとトルコについて、少しだけど知識を得られた。ローマ人の物語を制覇したら、次はオスマン帝国についての小説でも読んでみたい。

2012年1月14日土曜日

一橋大学に寮の申請に行ってきた。

1月11日に国立キャンパスに寮の申請に行って来た。

一橋に行くのはこれで通算5回目くらいで、国立周辺になにがあるのかはよくわからないので、ついでに散歩もした。
一橋キャンパスは国道146号線の両側にあって、駅から南に10分ほど歩くと着く。初めて行った時から、なんとも言えない道で、ここを僕の基地にしちゃうのか!っと思うと、居ても立ってもいられない。



申請は、学生支援課にメールを送って、逐次情報を提供してもらっていたので、かなりスムーズに進んだ。
寮についてはここ。

中国の大学で、こんなにスムーズに事が進まそうと思うと、賄賂かなにか渡さないとだめだろうなーっとか考えながら、ついでに奨学金関係の資料も頂いた。



せっかく一橋に往復1800円もかけて来たし、もう少し校内をぶらつこう!っと思い、図書館に入った。
一橋の附属図書館は蔵書数がなんと175万冊で、全学の図書館(他の研究センターも合わせて)245万冊あるらしい。
ソースはWikipediaから。日本の蔵書ランキングでは、10位にランキングされており、全学の蔵書を合わせると、2位の東北大学附属図書館の蔵書数249万冊と早稲田大学の蔵書数229万冊の間にはいるようだ。ソース。でも、実際のところ、それら2校も、他の研究所センターの数を入れていない可能性があるし、附属図書館で見る限りではこうなっている。



ただそれでも、本好きの僕としては、転げ回りたいくらいの数だ。
毎日1冊、あと60年生きるとして、読める数が21915冊。
実際、僕はそんなに読めないので、1万冊もいかないな。
っとなると、175回も生まれ変わらないとココにある本は読めないわけだな。。っと戯言をぶつぶつ唱えながら、顔はニヤニヤだった。



図書館を出て、教は暇だし、歩こう!っと思い、とりあえず国立駅を正面にして、国道145号線を左にテクテク歩いていった。すると、カフェが結構あった。ええやああああん!!やっぱ学校終わりに、うまいコーヒー飲みながら、テキストを読むってのが至極の時間なわけで、最悪ドトールとかでいいんだけど、国立にはなんでもある。


















自分の記録のため、こうやって写真を撮るのが、最近は楽しくて仕方がない。
次にいくリスト!みたいなものを作っておく、これって立派な趣味だわー!っと自画自賛をちょいっと挿し込む。




本日の名言

敗北とは、敵に敗れるよりも自分自身に敗れるものなのである。
byローマ人の物語より

2012年1月12日木曜日

千葉大学中国人留学生の会に参加してきた

















1月8日、バイト先の中国人の方から、千葉大学の中国人留学生に参加しよう!っというお誘いを受けて、行ってきた。

思っていたよりも、人数が多く、たくさんの中国人と知り合うことができて、かなり有意義な時間だったぜ!いえーい。

日本人も含めて、会場には200人くらい?の人が居て、ソフトドリンクと食べ物が出た。

日本人の参加者は、非営利団体の留学生支援団体やら、千葉県議会の人やら、中国に留学していた時に、こんな大掛かりな留学生会があればよかったのになーっと思った。

もちろん、大部分の参加者は中国人で、この留学生会を金銭面でバックアップしているのも中国人のOBの方々だ。そして、この会でささやかなくじ引き大会が行われていたのだけど、景品もかなり魅力的で、僕も一等の任天堂3DSがほしかった。。。

まあでも、そんな会が欲しい欲しいと言った所で、そもそも自分が行動を起こさなかったことが一番の原因なのだ。



その留学生会で、ちっちゃな子供達がいた。
子供たちの中国語がびっくりするほど流暢で、この歳(7歳の子が特に)で既にバイリンガルかよ!っと驚いた。
日本語か中国語どっちが得意?っと聞いたところ、たぶん中国語?あ、日本語かも、だと。完璧なるバイリンガルだった。。。


そんなこんなしていると、日本人で中国に留学していた、ということでスピーチを頼まれた。
こんな大勢の前でしゃべる機会なんて滅多にない!っと思い、やらせてもらうことにした。
たったの1分くらいでいいということだったので、自己紹介と留学生に贈る言葉をメモした。
っで、その時に思ったのだけど、こういう中国語でのスピーチは、前もって準備しておくことが大切だと感じた。どこでも使える挨拶で、少しユーモアを含めた定型文を作っておけば、いつスピーチを頼まれても応用を効かせれる。
その大まかな流れを一度暗記しておき、何度も練習して、アドリブで一言二言付け加えれば、OKだ♪


緊張もするし、恥ずかしいのでスピーチは苦手だけど、とりあえずやってみて思ったことは、場数をこなすこと、その後にフィードバックすることで、どんどん上手くなっていけそうだ。

気乗りしないことも、経験値的にプラスになるなら、とりあえずやってみること。
これが、その日の体験から得られた教訓だ。


その後は、中国人留学生との飲み会。

これもすっごく楽しかった。
日本人ということもあり、のめのめ!っと強要されることもなく、まったり飲めたからかな。


本日の名言
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、
私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである...

by司馬遼太郎

2012年1月11日水曜日

暗唱の応用性

僕は、中国語を勉強していた時に、よく本文を丸ごと暗唱していた。

自分から進んで暗唱していたわけではなくて、当時僕に中国語を教えてくれていた先生が、そうしなさいと言ってくれたので、それを実行しただけです。

しかし、これはかなり時間が必要で、しかも数日経つと忘れてしまう。

実際のところ、完璧に忘れるわけじゃないので、たまにブラッシュアップというか、チューニングをしてやらないといけない。

しかし、今思い返すと、暗唱ってすっごい応用が効く勉強方法じゃないかと思い返す。

もちろん、英語を勉強中の僕は、英語でもこの方法を使っている。

そして、最近、大学1年の時に学習していた数学をふと思い返した。

よくよく考えてみると、その当時、僕は数学が大っキライで、テストが近づくににつれて、胃のあたりが痛くなっていた。

その理由は、ただでさえわからない数学を、中国語でやらされていたから。


そして、よく言われるのが、数学は記号とか数字とかだから、語学なんて大して関係ないじゃないか。っと。

でも、実際のところ大ありなんですわ。

なぜなら、その数式を見てもさっぱりチンプンカンプン(ちなみに、チンプンカンプンって中国語の听不懂看不懂から来てるらしい)で、つまり、数式がわからんのだから、それを説明してもらわないといけない。
その説明が、中国語だからわからん。

っという、自然科学さっぱりな僕としては、まあ至極当然のことを言ってるのだけどね!


っで、その時に、しかたないから使った方法が暗唱だったのだ。

その時は、ほんと藁にでも縋りたい気持ちで、なんかええ方法ないか?っといろいろな本をひっくり返した。

っで、そのひっくり返した本から答えが出たわけじゃなくて、僕が大好きな小説、司馬遼太郎さんの「花神」からヒントを得た。

なんでそんな小説がヒントになるねん?っと思うかもしれないが、この小説は、以下のような内容。




周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。


この中の蘭学の学習ってのと、そこから自然科学へと発展させていく過程のどこかにそのヒントがあるはずや!
なぜなら、僕も大村氏と同じような境遇だよな!?だよな!?っと思いながら、そこからヒントを得ようとがんばった。

そして、得た答えが写経だ。

「寺の使いの者か!?」、ハゲか!?っと。

もう、見て読んでわからんのだから、その上の書き写す、臭う、食べる、聞く、脱ぐ、等色々と五感をフル稼働する方法を考えたわけだ。

そして、僕はまだ未熟者で、辞書のページを食べるとか、そういう山羊よろしくのストイックさは早い!!ということで、手を動かすという方法を使うことにした。

っで、やってみるとすごくいい。

それまでは、わかったつもりのものは、全くそうではなかった。

そう。噛み砕けていなかった。
食べ物でいうところのガムがそれだ。食ってるんだけど、飲み込めてなくて、少しのカロリーしか体内に入ってこない。

しかし、写経という咀嚼方法を知ってからは、第一段階の消化活動を行ったのだ。僕は歯を手に入れた。

それからというもの、数学の教科書を隅々まで写してやった。もう、丸裸にしてやったのだ。

そして、気づいたら、いろんな定義を丸暗記していた。
少しでもわからないところは、時間をおいて(例えば2日寝かせるとか)、もう一度写経をする。
それを何度も、何度も繰り返した。

様々な定理を駆使して証明する場合だと、定理が曖昧な時点で理解が難しい。
解ける解けないという問題の前に、理解できる、できないという導入問題自体を解決しない限り、その先に進めないのだ。


写経は理解するための最高のツールだとココで主張させてもらう。
そして、そのルーツを、つまりその原理を辿ると、暗唱ではないのか。

先程も言ったように、ひとつの物語を解き明かすために、さまざまな予備知識が必要で、その予備知識を覚えることが、理解に先駆けて成されるべきことなのだと。

ここまで言った上で、僕は物事を理解する上で、特に定義や理論を学ぶ上で最高の方法は暗唱だと結論づける。 今までにも述べたように、わかっているつもりは、頻繁に起こり得る。 いや、実際理解しているのだろう。

ただ、その理解の厚みは、暗唱することによって、そして、その暗唱する過程で、新しい発見をもたらしてくれる。

暗唱までの道のりに、写経だったり、音読だっあり、叫んだり、歌ったり、脱いでみたり、そうやって体全体で、対象物をこねくりまわす。

僕もよくわからないなりに脱いだ。そして、風通しを良くした上で、光合成を試みながら暗唱する。その様は、一見したら不審者だが、解放感から来る新しい空間を作り出した四畳半の支配者でもあり、苦学生の鏡なのだ。

さて、このままだと、いつまでもバカな話を繰り返しそうなので今日はこれくらいで!





今日の名言

物事は両面からみる。
それでは平凡な答えが出るにすぎず、
智恵は湧いてこない。
いまひとつ、とんでもない角度
つまり天の一角から見おろすか、
虚空の一点を設定してそこから見おろすか、
どちらかしてみれば問題はずいぶん変わってくる。 
 
by司馬遼太郎

2012年1月8日日曜日

心のカレンダー

1月も8日も過ぎてしまった。
昔と比べると、こんなに時間経つの早かったっけ?って思うことが最近多くなった。
「40歳になったら、こんなもんやないで!!」っと親父に言われたけど、実際のところどうなんだろう。

バイト先で、年末にミニ忘年会が会議室の一室であった。
その時、バイト先で、少し年配の女性の方も同じようなことを言っていた。

「最近なんて、今の一年が昔の一ヶ月と変わらないわ。心のカレンダーがだんだんと早くなる。」
「っきゃ。素敵。心のカレンダーなんて。。。」

そのやり取りを見てるだけで、僕の脈拍が尋常じゃないくらい早くなった。
笑いを堪えるために。
っと、今年も幸先良い、楽しそうな一年になりそうで、なんだかよかったです!

さて、最近読んだ本。



これは、先の大晦日の日、朝生という番組を見た時に上杉隆さんという人がすごく上手に話を展開していたので、この人が気になって本を借りに行くことにした。

内容は、まったくコミニケーションに関係なく、なんでそんな題名付けたのか??くらい関係なかった。
一瞬だけ、原発関連の討論をする時は、声を張り上げずに、淡々と議論を進めればいい。みたいなことが書かれていたけど、コミニケーション能力と議論能力は少し別物じゃないのかい?っと思った。

でも、僕は別にコミニケーション能力がどうこうでこの本を借りたわけではなくて、上杉隆さんが書いてるもの(この本では書いてるやつじゃなくて、対談だったけど)みたかったので、良しとする。

上杉さんの東電攻めは、かなり鋭く、論理展開が見事で、ディスカッションのお手本としては見習いたい。

っと今日はここまで。

本日の名言:

自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。
自分にとって、図書館と古本屋さんさえあれば、それで十分であった。 

by司馬遼太郎

2012年1月4日水曜日

今年の抱負。

明けましておめでとうございます!!

さーて、2012年になったので、新しく今年の抱負をこのブログで書きたいと思います。

その前に、

去年、2011年の目標はどうだっけ?っと思い出し、見てみると、こんなでした。

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            2011年の目標と評価


ずばり英語がぺらぺらになることだ。もうぺらぺらのペラ坊になりたいんだ。 
それと精神をもっと鍛えぬくこと。 
これくらいでいいか。。。をもう一時間おかわり!!の精神。 
おかわりを大切にしていくことだ。


振り返ってみると、2011年は英語ばっかり勉強していたと思う。

でも、ペラペラになったかと言えば、なってない。

っというか、ペラペラの基準がわからん。その当時、思い描いていたペラペラってどれくらいなんだろう。

これを反省して、2012年の目標はちゃんと定量的に評価できるようにしておこう。

それと、もう一時間おかわり!!の精神は・・・これも実現できた日もあれば、できなかった日もある。

去年の最初の方は、卒論があったので、租税関係の本ばっかり読んでいた。その時は、本当におかわりどころか、点滴くらい常におかわりってた。

でも、卒論が終わって、小説やら、大学院に入ってから必要になるだろうなー的な知識本については、必死さはなくなってしまったけど、相変わらず結構読んでいると思う。

なので、去年の目標はクリア!ってことにしようと思う!いえーい。

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2011年は、定性的な目標設定になってしまったから、もう少し定量的にする!


2012年の目標


1,TOEIC900点以上

2,中国語で2週間に1度、1000文字以上のレポートを作成する。

3,HMBAで同期の留学生のお手伝いをする。

4,ブログを1週間に一度は更新する。

5,毎学期スタート2ヶ月で、その学期のテキストを読み終える。


いい具合に定量的で、来年の評価がやりやすそうで満足!!
がんばって達成してこー!!


今日の名言

人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。
 by司馬遼太郎