2011年12月30日金曜日

現代社会を生きる。

今日で2011年も終わりですね!!
皆さん!良いお年を!

っで、今回の投稿は以前から下書きで書いていたけど、うまくまとまらなくて塩漬けにしていたものです。
うまくまとまったから公開しよう!ってわけではなくて、中途半端な状態だけど、ブログだからそこまで考える必要ないかーっと思って公開することにしますた。

今回の内容は、まだ仕事もしたことない僕が、どうやってこれからの日本を生き抜けばいいんや?っということを書いてます。ですので、既に仕事されてる方は、ケツ青いな!くらいで適当に読んでください♪




僕はブログを読むのが好きで、面白いブログはよくチェックしている。

金融日記もその中のひとつ。なかなか興味深い投稿があった。



リンクを見てもらえばわかる通り、本の紹介だ。本の内容は僕も読んだことが無いのでわからないけど、このブログの著者が簡単に解説してくれている。解説を読んで藤沢氏の意見をまとめると、金銭的報酬は従業員のパフォーマンスを下げる。その理由は、金銭的報酬が常に頭の中で大きなキャパシティを占め、柔軟な発想にブレーキをかける。っということらしい。
僕は今回、組織的からのアプローチではなく、個人からのアプローチで現代社会を生き抜く、という問題を考えてみたい。


これを読んだ後僕は、先日読んだバフェットの本が頭の中でちらついた。
バフェットが唱える投資とはバリュー投資。割安な会社の株を買って、長期保有し、目先の利益に囚われずに大きな利益をあげること。
この一文が藤沢氏のブログと、関連が深いように感じた。

仕事に対するモチベーションのベクトルが金銭的な報酬である場合は、投資でいうところの目先の利益、つまり、デイトレード等に代表される投機であって投資ではない。では、長期保有型の投資で言うと何になるのか。それは、好きな事を仕事にし、報酬とは無関係のところで自己満足を得ることだと思った。

もちろん、生活していく上でお金は大切だし、自分の自己満足と会社の利害が一致しているのかを確認するツールとしても報酬は大切だ。自分の自己満足が会社の利益と結びつかなければ、それはつまりただの自己満足で終わってしまう。
報酬とは会社から送られてくる自分への成績表なので、それ以外でも自分を評価できる基準を持つことは必要だ。別の言い方をすると、自分で自分の成績表も用意する。そこから、総合的に自分の仕事を評価し、自分のベクトルが正しい方向に向かっているのかを確認する。


これは企業評価する際にもとても大切な概念で、ひとつの指標に囚われず、いくつかの指標を読み取って総合的に判断をしていく。
それはつまり、無形資産の評価が今でも大きな論点となっているように、仕事で生み出した商品も現代では無形資産が産み出した価値に近いのではないだろうか。無形資産に近い生産物なのだから、それへの評価も自ずと困難になってくる。


ただ、僕はそれ以前の問題として、パフォーマンス(いい仕事してますねー的な)が何かすら明確に定義されてないような気もする。いや、定義されているが、それ自体が変な定義なのだ。
例を挙げると、IT系の業界のように、やっつけ仕事でスピードがあれば、エラー連続でもOKなのだぜ!結局のところ、顧客とうまく折り合い(エラー自体が仕様なんです!)ができ、それをうまく納得させる奴がパフォーマンスが高く、出来る奴!となっている。
ただ、その早い納期を売りにしてる会社なら、エラーに目を瞑る事が出来、仕事を早くすることがつまりパフォーマンスが高い人であり、結局のところ、属する会社によってパフォーマンスの定義すら変わるのではないか。
変な定義と言ってはみたものの、グローバル化でスピードが求められ、どれだけ完成度が高い商品でも、遅ければ意味が無い!なので、時代がそれを求めてる?ので、昔的ないい仕事は、現代ではまったくもっていい仕事ではないのだ。よって、やはり属する業界や企業によっては、それがパフォーマンスの定義となってしまう。だから、結局のところ、企業が求めるパフォーマンスと自分が思い描くいい仕事が不一致になるのは仕方がないことだと思って割り切らないといけない。

じゃあ、結局不一致なのだから、従業員としては金銭的な報酬を最大化させるために頑張ればええやん!っとなる。確かにその通りだ。
ただ、注意しないといけないことは、「金銭的報酬最大化」なる目標が、本当にそれを最大化させるのか、つまり、人はそれを達成するために、的確な選択ができているのか、という問題である。
なぜ、このような問題があるのか。それは、やはり先程も述べたように、人は短期的な利益を、つまり目先のにんじんに目がいってしまうからだろう。


じゃあどうすればいいのか。
僕なりに考えてみた。それは、定期的に自分のスキルが、自分の属する会社だけではなくて、もっと広い角度からどの程度評価されるのかを考えること。
もっと単刀直入に表現すると、明日首になってもすぐに仕事を見つけられるかどうか。
結局のところ、自分を評価者としてみた場合のパフォーマンスの最大化で、一番大きな評価点は、どこでもやっていける能力を身につけることだと感じる。例え、自己の評価で先程も述べたように、「好きな事を仕事にし、報酬とは無関係のところで自己満足を得ること」は、収入の確保があって初めて成り立つ評価ポイントなのだ。

どこでもやっていける能力を上げること、例えば語学がそれに当たると思うのだが、それを上げることはイコール自分の市場価値を上げることにつながる。そして、会社の一番重要な資源は人なので、結局のところ会社にも貢献していることにもなる。そして、会社はそんな人材が外に流れないように待遇の面で優遇するのか、それともやり甲斐があるプロジェクトを任せて自尊心を刺激するのか等、会社は人材の流出を防ぐために方法を考えなくてはいけない。それ自体が結局は、個人からすると成果物であり、モチベーションを上げる材料でもある。

っとまあ、仕事もしたことない奴が何いってんだ?ってなると思うけど、みんな最初は仕事したことないので許してください。これは、あくまで仕事もしたことない素人がグダグダ頭の中に浮かんだことを文章化しただけのことなのです。ただ、今はこう思ってる!っていうのは確かです。僕の主張を一言でまとめると、組織的な面と個人的な面の2つのアプローチで自分のパフォーマンスを評価し、現代社会を生き抜かないと!なのです。



名言ノート

優秀であることは、ひとつの行動ではなく習慣である。  
by アリストテレス


ローマ人の物語





最近、ブログの更新が滞っていた。一週間に一度は更新するぞ!っと思っていたけど、前回の投稿から8日過ぎた。
でも、この8日間一度も投稿に手を付けていなかったわけではなくて、付けたけどうまく文章を組み立てることができなかったので公開しなかった。でもまあ、中途半端な形であっても、更新頻度は1週間に一度は頑張って達成したい!

さて、最近のマイブームはローマ人の物語だ。
他の本も色々とつまみ食いしているので、ちょっと期間が空いてしまっていた。

僕は歴史小説が大好きで、今まではもっぱら日本のそれか、中国のを好んで読んでいた。
日本の歴史小説なら司馬遼太郎。
中国の歴史小説なら宮城谷昌光が大好物だ。
そこに、ヨーロッパの歴史小説の牙城、塩野七生さんが新たに追加された。



今までにも書評でローマ人の物語を取り上げたことがあるので内容は割愛するが、今回この6冊の文庫はユリウス・カエサルが主人公だ。
塩野七生さんが原史料に基づいて書いてくいてくれているので、ヨーロッパ史の勉強にもなるので非常にありがたい。
それに、塩野七生さんの脳を経由して伝わってくるユリウス・カエサル像が、とっても生き生きとしており、あたかもユリウス・カエサルと話を交わしているかのような錯覚に陥る。その同年代を生きた、カエサルの友人キケロ。彼の人間味あふれる手紙の往来も紹介されており、広義な意味での小説にしていては勿体無いくらいだ。

僕は、この本がたくさんの日本人に読まれることを望んでいる。
それに、ローマの文化は日本の文化に近いというか、日本人にもわかりやすい。
その理由は2つある。
1,法律を国家運営の柱としている
2,多神教を認めている
1については、今の時代当たり前だと思われるかもしれないが、そうでもない。例えば、宗教を柱としたアラブ周辺国や、まだまだ法律がうまく働いていない新興国等がそれだ。ローマはそれらの国とどのように関係を構築していくか?という問は現代人でも参考になる部分は多いと思われる。
2については、日本人のように米のひと粒ひと粒までに神が宿っているっと思うような人種は世界を見回しても少ないのではないだろうか。西欧のように、すでにキリスト教が普及してしまった人たちからすると、逆に実感としての理解ができないと思われる。この神という存在に対して、そして宗教という信教に対しても客観的に観察できる日本人は、他の信教がある国の人達にどのように接していけばいいのか、っという問題に解決の糸口を与えてくれるかもしれない。

そんな偉大な歴史を残してくれていたローマ、同時代の日本がまだ弥生時代だったことを思うと、愕然とする。


塩野七生さんは参考文献をも列挙してくれている。
そのまえがきとして書かれている内容が、すごく興味深い一文だったので以下に記すことにする。

「言語を使って成される表現は、意味を伝えるだけではなく音声も伝えるものであり、言い換えれば、意味は精神を、語品もふくめた音声は肉体生理を伝えることである。翻訳もこの概念で成されねばならない。私もルネサンス時代を書いていた当時から原史料最優先主義を通しているが、それも、その時代に生きた人々の音声、つまり肉体生理までも伝えたいと願ってきたからである。ただし、読み手に伝える前に、私自身が音声を聴かねばならず、肉体生理を感じ取らねばならない。書き手が感得しないで、どうして読み手に伝えられよう。結果として、この二巻を書くための勉強の大半は、キケロとカエサルの書き遺し言い遺したものの一字一句を、文字どおりなめるように読み、その間もそれをめぐって考える作業、つまり読み込む作業に費やされた。」


この文章を見ると、如何に塩野七生さんがローマの物語を編集するのにあたり、全身全霊を捧げて取り組んでいたのかが垣間見れる。文章が如何に素晴らしく、力強く、多彩で、その構築が如何に大変かがわかる。

そして、その中の一文が、中国語、英語を勉強する僕としては無視できない。
翻訳もこの概念で成されねばならない
伝えたいと思うなら、まずは相手の意味を読みとかなければならない。
簡単なようで、非常に難しいこのプロセスだけど、プロフェッショナル意識を持って学んでいかなければいけないな・・・っと思わせてくれた。

とにかくも、自分の生き方と比べてみると、僕ってなんてしょぼいんだ!!っと思わずにはいられない作品だった。


追記:
今回から本から拾ってきた名言を載せていこうと思う。
僕が本を読んでいる時にぐっと来た言の葉。

優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。

ローマ人の物語より

2011年12月22日木曜日

ガラガラおじさん

最近、寒くなってきましたね。

手洗いうがいはしっかりしてるでしょうか?僕のバイト先ではいつも、朝8時55分から給水室でうがいするおじさんがいます。僕は、この人をがらじーと呼ぶことにしました。僕がバイト先に着いてまずすることは、お茶を入れること。その時に、ガラジーによく声をかけられます。
ガラジーは挨拶ついでに一言付け加えてくれて、先日の一言はポットに毒が入ってるでした。僕が「え?」って言うと、ポイズンと返ってきました。聞き取れなかくて「え?」っと言ったのではなくて、反射的に戸惑って出た言葉だったのですけどね。。しかし、ここで挨拶にプラスアルファー付け加えてくれた人に対して、「え?」だけでは失礼なので、「やばいっすね!!」っとハイテンションで返すと、次は毒の解説を始められた。

「チフス、ボツリヌ菌、O157、コカイン、アヘンだーよ」「あ、アヘンは水に溶けるのかな?」っとここまで来たとき、僕は毒の解説からドラックに移行したことを素早く理解する必要があった。まったく関連性のないように見えるこのオブジェクトを彼は一括りに毒とした。いや、でも毒で間違いない。中国語で薬物のことを毒品と言うし、何しろ薬物は体に毒だから、あながちガラジーも的を得ている!!っと心の中で分析していた。

すると、今度はLSDかなにやら薬の話をしだした。「知ってるかい?ハイになっちゃうよ!」。うがいでここまでハイになってる姿を見ると、僕はうがいこそ脳内麻薬を発生させる手段ではないのかと、LSDやらの話そっちのけで妄想を始めてしまった。っというか、朝の挨拶プラスアルファーにしては、かなり濃密な挨拶だなこれ。ここで、あらかじめ断っておくけど、ガラジーはかなり健康派そうなので、絶対に薬に手なんて出していないでしょう。
だけど、彼自身がもう薬なんて必要ないほどのテンションを維持しているのは確かだ。


そんなガラジーは、昼頃に僕に一枚の広告を手渡した。ロッテリアの。しかも無言で。。。これは・・・?っと声をかける暇もなく、颯爽と隣の席の人に渡していく。どうやら、ここでは恒例となっているらしく、みな何事もなかったように仕事を続けている。しかし、僕は脳内で、ガラジーがロッテリア好きなのかどうかが気になって仕事に手が着かない。


どうしても気になったので、横の人に聞いてみた。すると、「たまにくれるんですよ^^」。なんてWINWINな関係を作り出す人なんだと僕は思わざる得なかった。しかもただで。クーポンがついた広告を渡すだけで、ロッテリアは喜ぶし、クーポンもらった人は喜ぶ?し、ガラジーは仕事の合間に職内散歩ができるしで、コミニケーション上手過ぎる!!僕は、その場でロッテリアの広告をゴミ箱に捨てはしたものの、そんなの関係ないのだ。ちょっと強引な方が良い!っというのは女性を打ち落とす時に言う決まり文句だが、この広告はまさにコレ!!一言も、ロッテリアに行け!とも言わずに、広告だけをさらっと置いていく様は、プレイボーイな匂いしかしない。


そして、彼の行為のすばらしさを確認した後にやっと仕事が手に着いた。
やっとこさ仕事が終わって、いつものようにマクドに行ってから何の本読もうかなー?っとるんるんで出口を出ると、ガラジーとすれ違った。そして、すれ違いざまに「さらば」の一言。まさか。。あまりに紳士的な対応に僕はショックを受けその日マクドに行けませんでした。

2011年12月16日金曜日

歯がゆいけどこの時期が一番面白い。(ラングリッチのサービス)

なにが歯がゆくて面白いかというと、それは現時点での僕の英語のSpeaking能力です。

僕はラングリッチというオンライン英会話のサービスを利用して英語を勉強してます。

毎日50分間フィリピン人と英語で会話できるのだ。

ええ時代になったなーっと思わざる得ません。

そして、英語がどんだけ学びやすい言語なのかってのも忘れちゃいけません。

英語は溢れんばかりに教材があるので、自分にあったやつを選べるってのが他の言語と違うところ。

今では中国語の教材もたくさん出てきたけど、僕が始めた頃は、ほんとお粗末なもんでした。



っで、今回のタイトル。

なぜ歯がゆく面白いのかというと、僕の中では今のつたない英語で懸命にコミュニケーションを取ろうとするのが楽しい。

中国語を振り返ると、最初の半年が一番中国語を使っていて楽しかった。

それと同じで、英語もすぐに出てくる言葉の数が少ないので、いろいろと脳みそを絞ってセンテンスを構築していく作業が面白い。

やっぱり言語はよちよち喋りができたくらいが一番楽しいのかもしれない。

だから、この面白い時期にフィリピンに行って英語を使いてえええええ!!!



今すごく気になってるのが、ラングリッチの留学サービス

一ヶ月ご飯付き、部屋付き、授業付きで9万で行けるってどんだけやねん。

これは絶対に夏休みと冬休みは行くしかない。

もう決めた。行く!!

不思議の国のM&A



前回の投稿でも牧野洋氏の本を紹介した。

っで、今回も牧野洋氏の本を読んだので、アウトプットの練習として内容をまとめる。
しかし、もう本を図書館に返してしまい、記憶を辿りながらの作業になるので、内容の保証はできましぇん。



この作品は、日本のM&A事情が他の先進国と比べていかに特殊な環境下でなされているのかを示唆している。初めは三角合併を巡って話を展開し、経団連やマスコミが海外のハゲタカファンドに対して過敏に反応することの無意味さ、そして彼らの無知を非難している。



続いて、アメリカで起こったM&Aと日本のM&Aを比較分析している。日本のM&Aが如何に企業価値を無視して、買収プレミアムを設定しているかを説く。それはつまり、日本のコーポレート・ガバナンスが株主利益の最大化を重視しなかったことを意味している。その元を辿ると、株式持ち合いが大きな原因になっている。株主持ち合いによって大株主がお得意先や大手銀行になり、資本経済を無視した行動をとる。



ここで簡単な例を挙げる。AとB2つの企業が株式持ち合いを行なっている。
AがM&AのターゲットにされTOBによってCが一株あたり480円でA株を買い付けると発表。
A株の株価は、TOB発表前400円で推移していた。すると、一株あたりプレミアム80円、つまり株価の20%をプレミアムとして上乗せしている。世界的なM&Aでみると30%前後が適正価格となり、Cの提示価格は世界的には少し低いが、日本では妥当だと言える。
しかし、Aは社風が合わないのでCとの合併を回避することにした。
A側にいるBや銀行は当然のようにTOBには応じず、CのTOBは成功しなかった。



日本がよく悪者に仕立て上げるのはCである。
しかし、実際の悪者はAに居座ろうとしている取締役なのだ。
なぜなら、TOBに応じないということは、プレミアムであった80円を超えるだけの成長を株主に対して取締役達は説明しなくてはならない。しかし、日本ではそれは成されず、やれ企業文化だの、ハゲタカだので責任をなすりつけている。80円のプレミアム、つまり、TOBが成功していたら株主が得る利益を事業によって確約できるのだろうか。
また、Bや銀行もTOBに応じなかった理由を自分の株主説明しなくてはならない。
つまり、Bや銀行がAに対する将来性を合理的に説明し、自己が取った妥当性はどうなのか、それ以上のリターンをAから望めるのかを説明しなくてはならない。


こんな事態が日本では日常茶飯事なのだ。
そんな日本の状況を本書では実際に起こった内容を元に詳細に記していた。

2011年12月9日金曜日

バフェットの本読んで悩む。

最近、牧野洋氏が書いた本をよく読む。
牧野洋氏について






中国で僕はファイナンシャルマネージメントを専攻していたので、株式投資については、理論的な面ではいろいろと学習してきた。
その時に知ったことは、株式指数を越える運用成績を達成するこの難しさだ。多くの投資ファンドもそれを達成することは困難で、数年を跨いで達成出来れば、かなりいい運用成績だと見なされる。
そのなかで、バフェットは常にそれを達成し続けた化け物投資家だ。



そんな彼に興味を抱いたのは五年くらい前で、その時、中国語で彼について書かれた伝記を読んだ。その時は母国語でなかったのと、僕の知識が足らなかったのために、彼に対する偉大さがよくわからなかった。そして、先日読み終えた牧野氏による伝記で彼の偉大さをしっかりと確認した。
そして同時に、自分が理論だけを学習して、実際に自分の身銭をはたかずに、のうのうと本だけを読んで満足してるところに情けなさを感じた。




話は脱線してしまうが、ここ最近の悩みもこの理論と実践にある。いや、正確に言うと、この悩みは以前からずっと持ち続けている。僕は理論オタクにならないために、テキスト以外の事実に則した物語を読むようにしている。そのなかのひとつが黒木亮氏の小説だ。物語を読んで、主人になったつもりで、自分ならこの案件をどうやって処理できるか等を妄想する。しかし、いくら黒木亮氏の小説が緻密な取材を根拠にしていても、その時点で使用された書類等を分析しない限りは、程度の低い妄想で終わってしまう。そう考えると自分が今学習している内容は、やっぱり表面上のことだけなんだろうなっと思う。この思いが時々本当に重く僕の上にのしかかって、はやく実務の世界に身をおいて活躍したいと気持ちが高ぶる。その想いがなぜ早く起業でもしないのかという考えに連想してしまう。ただ、進学を決めた時点でもう少しその気持ちを温めておくべきだと自分に言い聞かせている。そうと決まれば迷いを捨てて、とれあえずはテキストとにらめっこして、将来のために知識を蓄えればいいのに、やっぱりまだ悩む。その悩みも結局は一般論である実務第一なる考えに流されているからかもしれない。いや、一般論と言ったけど僕もそれを自覚しているから少し複雑なのかもしれない。ただ、僕は最高級の質の実務経験を手にするために進学を決意したのた。


五年後、十年後の僕は今の決断をどう見るのだろうか。
五年後の自分に後悔させないためにも死に物狂いに勉強しなくては。。

2011年12月4日日曜日

中国語の勉強

英語の勉強ばっかりやってるけど、中国語は大丈夫かな・・・?

っと最近心配になってきた。

日本に帰ってくれば中国語が留学していた時のように話せなくなるという話をよく聞く。

今のところ、バイトで中国語の入力や中国語で本を読んだりすることがあるので、自覚できるほどのレベルダウンはないようだ。

でも、それと同時に進歩もしてない。

これからは中国語を勉強せずに英語を勉強したほうが費用対効果は高そうだけど、それなりのレベルにもっていけたのだから、たまには中国語のボキャブラリーを増やしたりとスキルアップを図ったりしないともったいないな。



僕が中国語を勉強する時に使うサイトは土豆の経済関係の動画

むこうに居るときは毎日のようにCCTV2の财经频道を見ていた。

だから、CCTV2をリアルタイムで見たいのだけど、日本ではネット上で見れないようだ。



それ以外にもビジネス中国語を学びたければ、新浪财经を見るのがいい。

自分の興味があるニュースを選択して、わからない単語を調べてノートに単語帳を作る。


その時に便利なのが、このオンライン辞書

ピンインがわからない時はこのサイトの手書き入力で漢字を検索すると一発で出る。

しかも、このサイトにある有志で作られた単語帳がかなり便利。

HSKのレベルごとに必須単語を作ってくれているので、それを元に単語量を増やすといい。