2011年10月11日火曜日

初ブログ

初めまして!匠です。

まずは自己紹介をさせて頂きます。
2004年、中学二年生の時に、進路に悩み、当時の社会化を担当していた恩師に相談にいきました。その時の不安というのは、「人並みに高校に進み、大学に進んで、サラリーマンになってネクタイを締める。」という周りと同じルートを歩むことでした。
そこで、当時の先生のアドバイスは「今は中国の発展が著しいし、これからもあんなに大きな国を色々な面で無視することはできない。それに、中国語がしゃべれて、中国の文化を理解している日本人はこれからものすごく必要になると思うよ。だから、君は中国に留学に行きなさい」でした。
最初は留学といえばアメリカやオーストラリアが最初に思い浮かぶし、中国なんて行きたくないなーっと思っていましたが、度重なる相談の結果、高校を卒業したら中国に行くということで決意を固めました。
その後、家の近くにある工業高校に進学し、すぐに中国語の学習を始めました。中国語の先生は、母の知り合いから紹介していただき、週に1度ペースで中国語を学習しました。毎年夏休みにも中国に出かけ、どんどん中国の魅力に取り憑かれました。
高校を卒業してすぐに中国の天津にある南開大学に語学進修生として1年間中国語を学習しました。その一年は、たくさんの外国人と知り合い、中国語の学習も一生懸命やり、とても充実した時間を過ごすことが出来ました。そして、残りの半年で日本の学部生にあたる南開大学の本科に入学するために数学を学習しました。
第一志望の財務管理専攻の受験に合格し、浮かれている暇もなく数学に追い詰められる2年間を過ごしました。最初のうちは、自分で完璧だと思っていた中国語ではまったく歯がたたないことを思い知らされ、また、クラスメートとの関係づくりも悩みのタネでした。私はあまりにも中国と日本の歴史を知らなすぎたし、楽観視しすぎていた節がありました。そのおかげで、司馬遼太郎の小説に出会い、勉強の傍ら小説にのめり込んでいました。日本人とはなにか、そして中国人とどのように接すればうまくいくのか、を常に考えていました。後者の問には自分の中で答えを見いだせたのですが、結局前者は未だわからず。そうこう足掻いているうちに2011年6月卒業しました。
時間軸が少しずれてしまうのですが、2010年の6月くらいから次のステップについて考える時期にさしかかり、就職するか、それとも進学するかを考え始めました。いろいろ考えた結果、一橋大学のMBAに進学することを決意し、英語の準備にとりかかりました。私の英語の能力はたぶん公立中学の2年生後半レベルだったので、早急に2011年9月の入試対策を立てる必要がありました。小論文の対策は受験の2ヶ月前から少しづつ始めました。そして、2011年10月6日に合格発表があり、無事合格することが出来ました。
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予定では2012年度4月から一橋大学経営修士コースに入学することになります。

それまで、どのようにして周りの学生に圧倒されないように学習を進めていくかここで記していきたいと思います。

それ以外にも、私が一橋大学経営修士コース受験時にどのように勉強したのかを書きたいと思います。私は大学院受験対策をやっているスクール等に頼らず、本とブログを利用して情報収集と学習を進めてきました。ですので、これから独学でHMBAを受験されようとしている方に少しでも役に立つ情報を提供できればと思っています。

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