4日目:
マカオについてからびっくりしたことは入国手続きにフェリーに乗ってる時間と同じくらい時間がかかったことだ。
香港居住、マカオ居住とは別の中国人と外国人はかなり長蛇の列に並んで順番を待った。
ふざけんな!っと思ったが、本日日本に帰ってきた時に同じ光景を見てしまった。日本人の再入国はばかみたいに空いている。そして窓口も多い。反対に外国人のところは少し長い列ができていた。もっと日本人の窓口を少なくして、少しは外国人達の待ち時間を少なくしてあげれば、、、、こういうものは世界中どこでも一緒なのかと少しため息が出た。
フェリーから出ると、アホみたいな長蛇の列があった。なんじゃろ?って思ってたらタクシーに乗るための列らしい。
ぐは!!また待たなあかんのか!っと思ったが、あたりを見渡すとラッキーなことに様々なホテルへの無料シャトルがあることに気がついた。
そこで比較的近場のリスボンホテル行きに乗り込み、そこから歩いて帰ることにした。
少しホテルで休憩した後、また2日目に食べた飲茶を食べに行くことにした。
ところで、僕は同じ物を飽きずに食べれる特技がある。
高校時代はずーっととり丼ばっかりだったし、大学の時はガンバンって麺を半年食べ続けた。
あ、、、まったく変な展開になってしまった。とりあえず、そんなのがこの限られた食事回数に同じ食べ物を割り込みさせる原因だと僕なりに分析したのだ。
この日は親父には申し訳ないが、最後に自由に行動させてくれ!ということでマカオを歩きまわった。
新馬路という道を軸に歩きまわった。
とりあえず、マカオに来たからには特徴を掴まないといけねーだろ!ということだ。
カジノとかのとおりではなくて、そこはガイドブックとかにも載ってる有名なセナド広場だ。
別に遺跡とかそんなものに興味が有るわけじゃない。
ただ、マカオに来たくせになにもマカオらしいことがないのはいけすかん。よってセナドだ!っという感じでした。
まったくもって幼稚な決断をしてしまい、まんまとその周辺の世界遺跡を見て回った。
セナド広場:
http://allabout.co.jp/gm/gc/384285/
もちろん、ただ世界遺跡を見ただけではない。
ここは自分の脚力を信じて道に迷うことにした。
そう、計画的に道に迷うという荒業。どこが計画的かと言うと、迷うことを計算しているところだ。
そうするとマカオってのは面白いもので、迷路みたいになってる。
坂がたくさんあって、歩けば歩くほどどこにいるのかわからなくなる。
建物はなかなか独創的というか、ジャッキーの世界に出てくるあの感じ。
人もなかなか味がある。インドかフィリピンかわからないが、そっちの方々がたくさんいる。
しばらくして新馬路に戻ろうと歩き出す。
しかし、気づけばよくわからないフェリー乗り場にいた。
あれ?海やん。っという砂漠にぽつんっと立ちすくむような寂寞感。
いや、マカオは半島だから海があってもしゃーない!っと気を取り直して歩き出す。
しかし、さっきみたおっさんがデジャブしたので、またも挫けそうになる。俺はおっさんと港にしか縁がない。
仕方ないので、ここで計画的に迷うことはやめて、人に新馬路の場所を教えてもらうことにした。
ココ数日で感じたことは、ここらへんの人結構親切なんじゃないかな?ってことだ。いや、ここ数日ではない。今日だ。今日確信した。かなり親切に教えてくれた人たち。感謝だ。
しかし、残念なことにこの時僕が声をかけた人は広東語しかしゃべれないようだった。なにを言ってるのかさっぱりわからん。地図を見せて、ここでここがここくらいの会話しか出来ず、しかし自分の立ち位置が尋常じゃないくらい遠いところにいることを知った。計画停電ならぬ、計画迷走は2時間を超えていたからだ。なんと。。。。マカオを舐め回してしもうた。
それから1時間半後にどうにかホテルに帰り着くことができた。
その間に使ったお金はポカリに使った6香港ドルだけ。
あまりにもコストパフォーマンスが高かったため大満足だった。また迷いたい。
その後は親父といつもどおり飲みに行く。
5日目:
朝起きて、すぐにチェックアウトして日本に帰国した。
飛行機が怖かったくらいしか出てこない。
出るには出るけど、もしまた気が向いたらこの旅行を再編集しよう。
2011年11月11日金曜日
2011年11月10日木曜日
二日目から三日目まで
2日目
主に情報収集と本を読んだりして過ごした。
わざわざ旅行まで行ってなにしとんねん?っと言われるかもしれないが、親父の腰がだめなので仕方がなかった。
ただ、特に必要がなければ調べそうもない情報をガンガン調べてたのでそれなりに得たものはあった。雑学として。
3日目
朝頃ゆっくりして深センへ。香港行きのフェリーでは、1等席と2等の値段差が少なく、かなり快適だと聞いていたので(他ブログとかで)深センもそうだと思い込み、一等を購入。
しかし、深セン行きだと値段が1000円ほど違った。これは許容範囲。
ただ、2等の席もガラガラで全然混んでいなかったので、どっちでもよかった。
深センの蛇口っていう港につくと、すぐにタクシーのおっさんが寄ってきた。相変わらずだなーっと懐かしく思いながら、無視。これだけは乗る気がなければ喋らないに徹するべき。近くに深センの地下鉄があったので、それに乗った。福田って場所まで行ったけど、距離にして約19KM。1時間くらいかかった。なんでこんなかかるねん?っと思ってたら駅の間隔がかなり短いみたい。蛇口線って名前だったな。
福田についてはここを参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E9%A7%85_(%E6%B7%B1%E3%82%BB%E3%83%B3%E5%B8%82)
そして、ココパークってところに行った。
そしてココパークは行き当たりばったりで行った。
前日にがっつり調べたんじゃないの?っと思われて当然なのだが、僕はどうも調べ物をしてる最中に他のことに気が散って、例えばこの時も深センの工場について調べてる最中に、LEDの仕組みが気になってまったく成果を上げられなかった。
それと言いわけにしかならないが、初めての土地って前もって調べててもよくわからん!なのだ。
深センの地下鉄についてはGoogle Mapに乗っているので、距離感とかは大して理解してなかったことは否めないが、だからどうしたのだ?っという開き直りを旅行3日目にして習得してしまった。結果的によくわからない状態でまた行ってしまったのだ。そして、おやじの腰を犠牲にしてしまった。
時間軸を少し遡って目的を思い出す。
そういえば、最初LEDの工場を見に行く予定だった。
だが、親父は腰が痛いので歩けねぇえ。すべてタクシーで手配してほすいっとなった。
しかし、親父に深センまでのフェリー代、タクシー代すべて合わせたら、サンプルをすべて日本に送るほうが安くすむぜっていうことを言うと工場に行くことを諦めた。
ここで深センに行くのを諦めるのが正しかったのだが、僕は実際深センにすごく行きたかったので行くことにした。
この2つの状況を見ると、結局腰を犠牲にして、深センのわけのわからんココパークやらに行ったのならLEDを見に行ったほうがいいじゃまいか!っとなる。いや、まさにそのとおりだ。親父もそれを悔やんでいた。僕も申し訳ないと思っている。
しかし、今考えても何故こうなったのかよくわからない。ただ、僕の行き当たりばったりでいこうぜ!!そのほうが、旅っぽいじゃろ!っと、こともあろうか腰の悪い親父に価値観を押し付けてシマタ結果なのだ。そして、一番のミスは準備したLEDの場所のメモをホテルに忘れたことだろう。これはミスという名の過失罪だ。これさえあれば。これさえあれば、あの時ココパークからでもこの工場に瞬間移動できたのではないか?もう今となっては仕方ないのだけど。
ここでもう一つ、自分との葛藤があったことを記録しておきたい。それは、深センに行かないという選択肢が、どれほど難しい選択なのか。本来はマカオと香港、それに深センという3点攻めで決定していたのだ。もし仮に深センに行かないという選択肢を選んだとしたら、今回の旅は少し寂しくなっていただろう。これはほぼみなさん当てはまると思う。三点攻めが二点減ればただの竿竹屋になるじゃんと。
ところで、ココパークとはどんなところだろう?っとなると思うので、参考にできるブログ:
http://makys.exblog.jp/5854998/
http://ameblo.jp/akmt427/entry-11041572184.html
夜に相談の結果次の日の朝すぐにマカオに帰ることに決定。
気を取り直してホテル探しをすることにした。
ほんと深センに何しにきたかを正直に言うと、BBCの特集とディスカバリーの海賊版DVDを買っただけだった。
僕としては香港も行きたかったのだが、今回の旅行で行くことはなかった。だから蛇口に戻ることにした。
親父も別に大丈夫と言ってくれたが、香港を連れ回せば確実に車椅子送りにしてしまうと思い踏みとどまった。
ふと思ったが、あまりにもこの旅行日記でおやじの腰が話題に上がっていて笑ってしまった。しかし、息子として見ていてあまりに痛そうだったので、この日記で書かないわけにはいかない。切実に治って欲しいものだ・・。
蛇口に着いて、7天っていうフランチャイズの安いホテルに泊まることにした。
宿も決まったし、酒でも飲みに行こうぜ!っと親父と仲良くバーに出陣。
驚いたことに、蛇口にかなり外国人がいた。
そして、その外国人がモーマンタイとか言っている。広東語だ。
そこで、蛇口についてなんか知れるもんないかな?っと思ってみてみると、こんなのがあった。
http://news.cntv.cn/china/20100826/101948.shtml (中国語)
その一部分、蛇口になんで人が居るんかって説明があった。
现如今,站在新建成的住宅小区半岛城邦附近的海景观光带上,一座国际性的住宅小区面向全世界销售,骑自行车休闲的、带着耳机跑步的白皮肤面孔,以及穿着短裤站在海边享受海风的黑人面孔,都显示出蛇口这块地方,已经朝着一个国际性的休闲社区转变。
簡単に要約すると
その半島にある居住区は、全世界に向けて販売された。
白人や黒人の生活する姿がこの街を演出しており、国際都市としての色彩をもつようになった。
へーーっとひとつまた学べた。
ほんと、なんでこんな蛇口みたいなとこに外国人がたくさんいるのか気になった。
そういう理由があったのか!っと納得。
しかし、どこに行こうと西洋は西洋人で集まり、アジアはアジア人で集まる。
だが同じアジアでも中国は中国、日本は日本となる。しかし、西洋は特にそのような傾向はなさそうだ。
やっぱりコミニケーションができる母国語以外の言語が、こんな場所でも重要になるんだな。
なんてことを親父とビールを飲みながら喋った。
主に情報収集と本を読んだりして過ごした。
わざわざ旅行まで行ってなにしとんねん?っと言われるかもしれないが、親父の腰がだめなので仕方がなかった。
ただ、特に必要がなければ調べそうもない情報をガンガン調べてたのでそれなりに得たものはあった。雑学として。
3日目
朝頃ゆっくりして深センへ。香港行きのフェリーでは、1等席と2等の値段差が少なく、かなり快適だと聞いていたので(他ブログとかで)深センもそうだと思い込み、一等を購入。
しかし、深セン行きだと値段が1000円ほど違った。これは許容範囲。
ただ、2等の席もガラガラで全然混んでいなかったので、どっちでもよかった。
深センの蛇口っていう港につくと、すぐにタクシーのおっさんが寄ってきた。相変わらずだなーっと懐かしく思いながら、無視。これだけは乗る気がなければ喋らないに徹するべき。近くに深センの地下鉄があったので、それに乗った。福田って場所まで行ったけど、距離にして約19KM。1時間くらいかかった。なんでこんなかかるねん?っと思ってたら駅の間隔がかなり短いみたい。蛇口線って名前だったな。
福田についてはここを参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E9%A7%85_(%E6%B7%B1%E3%82%BB%E3%83%B3%E5%B8%82)
そして、ココパークってところに行った。
そしてココパークは行き当たりばったりで行った。
前日にがっつり調べたんじゃないの?っと思われて当然なのだが、僕はどうも調べ物をしてる最中に他のことに気が散って、例えばこの時も深センの工場について調べてる最中に、LEDの仕組みが気になってまったく成果を上げられなかった。
それと言いわけにしかならないが、初めての土地って前もって調べててもよくわからん!なのだ。
深センの地下鉄についてはGoogle Mapに乗っているので、距離感とかは大して理解してなかったことは否めないが、だからどうしたのだ?っという開き直りを旅行3日目にして習得してしまった。結果的によくわからない状態でまた行ってしまったのだ。そして、おやじの腰を犠牲にしてしまった。
時間軸を少し遡って目的を思い出す。
そういえば、最初LEDの工場を見に行く予定だった。
だが、親父は腰が痛いので歩けねぇえ。すべてタクシーで手配してほすいっとなった。
しかし、親父に深センまでのフェリー代、タクシー代すべて合わせたら、サンプルをすべて日本に送るほうが安くすむぜっていうことを言うと工場に行くことを諦めた。
ここで深センに行くのを諦めるのが正しかったのだが、僕は実際深センにすごく行きたかったので行くことにした。
この2つの状況を見ると、結局腰を犠牲にして、深センのわけのわからんココパークやらに行ったのならLEDを見に行ったほうがいいじゃまいか!っとなる。いや、まさにそのとおりだ。親父もそれを悔やんでいた。僕も申し訳ないと思っている。
しかし、今考えても何故こうなったのかよくわからない。ただ、僕の行き当たりばったりでいこうぜ!!そのほうが、旅っぽいじゃろ!っと、こともあろうか腰の悪い親父に価値観を押し付けてシマタ結果なのだ。そして、一番のミスは準備したLEDの場所のメモをホテルに忘れたことだろう。これはミスという名の過失罪だ。これさえあれば。これさえあれば、あの時ココパークからでもこの工場に瞬間移動できたのではないか?もう今となっては仕方ないのだけど。
ここでもう一つ、自分との葛藤があったことを記録しておきたい。それは、深センに行かないという選択肢が、どれほど難しい選択なのか。本来はマカオと香港、それに深センという3点攻めで決定していたのだ。もし仮に深センに行かないという選択肢を選んだとしたら、今回の旅は少し寂しくなっていただろう。これはほぼみなさん当てはまると思う。三点攻めが二点減ればただの竿竹屋になるじゃんと。
ところで、ココパークとはどんなところだろう?っとなると思うので、参考にできるブログ:
http://makys.exblog.jp/5854998/
http://ameblo.jp/akmt427/entry-11041572184.html
夜に相談の結果次の日の朝すぐにマカオに帰ることに決定。
気を取り直してホテル探しをすることにした。
ほんと深センに何しにきたかを正直に言うと、BBCの特集とディスカバリーの海賊版DVDを買っただけだった。
僕としては香港も行きたかったのだが、今回の旅行で行くことはなかった。だから蛇口に戻ることにした。
親父も別に大丈夫と言ってくれたが、香港を連れ回せば確実に車椅子送りにしてしまうと思い踏みとどまった。
ふと思ったが、あまりにもこの旅行日記でおやじの腰が話題に上がっていて笑ってしまった。しかし、息子として見ていてあまりに痛そうだったので、この日記で書かないわけにはいかない。切実に治って欲しいものだ・・。
蛇口に着いて、7天っていうフランチャイズの安いホテルに泊まることにした。
宿も決まったし、酒でも飲みに行こうぜ!っと親父と仲良くバーに出陣。
驚いたことに、蛇口にかなり外国人がいた。
そして、その外国人がモーマンタイとか言っている。広東語だ。
そこで、蛇口についてなんか知れるもんないかな?っと思ってみてみると、こんなのがあった。
http://news.cntv.cn/china/20100826/101948.shtml (中国語)
その一部分、蛇口になんで人が居るんかって説明があった。
现如今,站在新建成的住宅小区半岛城邦附近的海景观光带上,一座国际性的住宅小区面向全世界销售,骑自行车休闲的、带着耳机跑步的白皮肤面孔,以及穿着短裤站在海边享受海风的黑人面孔,都显示出蛇口这块地方,已经朝着一个国际性的休闲社区转变。
簡単に要約すると
その半島にある居住区は、全世界に向けて販売された。
白人や黒人の生活する姿がこの街を演出しており、国際都市としての色彩をもつようになった。
へーーっとひとつまた学べた。
ほんと、なんでこんな蛇口みたいなとこに外国人がたくさんいるのか気になった。
そういう理由があったのか!っと納得。
しかし、どこに行こうと西洋は西洋人で集まり、アジアはアジア人で集まる。
だが同じアジアでも中国は中国、日本は日本となる。しかし、西洋は特にそのような傾向はなさそうだ。
やっぱりコミニケーションができる母国語以外の言語が、こんな場所でも重要になるんだな。
なんてことを親父とビールを飲みながら喋った。
2011年11月8日火曜日
マカオ一日目。
11月7日の夜にマカオ空港に到着した。
着いて最初にしたことは、お金をATMから引き出すこと。近くにHSBCのATMがあったので香港ドル(マカオでも香港ドルが使えて、使い勝手もいいため)で引き出そうと思ったのだが、前の人がいくらたっても退こうとしない。仕方ないので、まずどのバスで僕らのホテルに向かえるのかを聞きに近くのホテル斡旋業者の方に目星をつけた。近づいてびっくり、顔がウルムチかハーフか、いかにも北京語は通じないだろうと思われたが、とりあえず試すと普通に流暢に僕の質問に答えてくれた。しかも親切に。ついでにATMもHSBC以外にもあることを聞き出し、お金を下ろしに行く。まずは1100香港ドル下ろした。しかし、ここで僕はあっと気づいたことがあった。中国でバスに乗るためには予め小さい額のお金を準備しておかなければならない。そこで、まわりのホテル斡旋の人にお金を崩してくれと頼み回ってみた。案の定、細いお金はない。の一点張りだったが、思ったより態度は悪くなかった。いや、逆にみんな結構親切で、あっちに行ってみろとか言ってくれたりもした。もし、これを天津でやってたら、ストレスが貯まるわ、換金はできないわで踏んだり蹴ったりだっただろう。っということで、しかたがないのでタクシーでホテルまで移動することにした。タクシーのおっさんの北京語も少し訛っていたけどまったく許容範囲で、四川のタクシーがまったく北京語喋れなかったことを思うとあまりにも幸先の良いスタートだった。タクシーの値段は100香港ドル(約1000円、つまり香港ドルに10倍すればいいくらい。)だった。しかし、実際のメーターの価格は70香港ドルで、なにやら荷物で30香港ドルと言ってる。少しイラっとし、ここで錦の御旗を掲げて聖戦するかどうか迷ったが、確かガイドブックにスーツケースを入れた時は別途要求されるという項目がちらっと記憶をよぎったので、どっちが錦を担いでるのかわからない状態になったら非常にバツが悪いのでやめた。こんなところが、僕の肝っ玉の小ささだが、たかが300円程度で変な悩みを持ったことにまた腹が立った。
ホテルについてまずチェックインをした。その時に、今まで英語頑張ってきたんだから中国語は使わずに英語でやろう!っと変な気合でチェックインに臨んだ。相手はまたもハーフっぽい人で英語も非常に流暢だった。思ったよりスムーズにチェックインが進み、もうすぐ手続きが終わりになった時に、突然中国語にスイッチしてみてっと親父に言われた。どういうリアクションをするのか面白そうなのでそれに答えてやってみると、めちゃくちゃうまい中国語で引き続き何事もなかったかのように手続きを進めていかれた。最後にデポジットのところでまた英語にスイッチされ、500香港ドルを渡して終了。タクシーとデポジットで残り500香港ドルになった。こんだけあれば天津なら飲み食い全然OKだが、こっちはマカオだったので無理だろうと思い、もう一度お金を引き出す。
部屋についてすぐに散歩に出ることにした。僕の父は腰が悪く、ウルトラマンの3分制限さながらで、散歩の距離もあまり長くなかったけど、とりあえずマカオについて肌で感じようとした。そこで見たマカオはすごい煌びやかで、大きなホテルが雨後の筍のごとくマカオを飾っていた。それを見ていると、まるで異世界にでも飛んできたみたいで、現実と幻想をどこで線引きしたらいいのかわからなくなる。その境界線を鈍らせる要因としてマカオのカジノがあるんだろな。そこに入っていく人たちは興奮と期待とで顔を紅潮させ、元手を何倍にするかの妄想で忙がしそうだった。僕もその熱気に引きこまれ、親父と共にカジノに入ってみることにした。僕はまったくカジノに興味もなければ、憧れもなかったので冷めた目でみていたが、そこにいる人達の異様さには惹かれた。まっこと一瞬の出来事で自分の掛金が倍になる。そんなこんなを考えていると、親父の腰のブザーが鳴った。そして時間を見るともう既に22時を回っていた。
腹が減ってきたので腹ごしらえをすることにした。おやじの腰が悲鳴を上げているみたいなので近くの中華料理の店に入ってびっくり。あまりの値段の高さに目が点になった。普通というか、まずい山西料理がやけに高い。ただのラーメンみたいなのが50香港ドルを超える。こんな糞ラーメン5元でぶーぶーいってた僕としては、食べられるはずがない。しかし、もう腹の減り具合も頂点に達していたので、しかたなく刀削麺を注文。親父も一本35香港ドルする燕京ビールを頼み、ささやかだけど糞高い晩飯を食べた。味は再度申し上げるがまずい。これなら南開大学の食堂のほうが100倍うまくて、20分の1の価格だ。このひとことだけでも一気にマカオに対する熱が冷めた。僕は基本的にコストパフォーマンスを重視するので、マカオは疎か香港もダメだろうと連想した。こうやってグチグチ言いながら親父と深センにかけるしかないで!としゃべりながら部屋に帰って寝た。
反省点:
こうやって自分で自分のマカオでの行動を見直すと、よくわかったことがある。それは、事前に情報をしっかりと集めて予定を立てていなかったことだ。これでは高い店に行き着くのも仕方ない。
しかし、調べてみても特にコストパフォーマンスが際立っているところはない。
着いて最初にしたことは、お金をATMから引き出すこと。近くにHSBCのATMがあったので香港ドル(マカオでも香港ドルが使えて、使い勝手もいいため)で引き出そうと思ったのだが、前の人がいくらたっても退こうとしない。仕方ないので、まずどのバスで僕らのホテルに向かえるのかを聞きに近くのホテル斡旋業者の方に目星をつけた。近づいてびっくり、顔がウルムチかハーフか、いかにも北京語は通じないだろうと思われたが、とりあえず試すと普通に流暢に僕の質問に答えてくれた。しかも親切に。ついでにATMもHSBC以外にもあることを聞き出し、お金を下ろしに行く。まずは1100香港ドル下ろした。しかし、ここで僕はあっと気づいたことがあった。中国でバスに乗るためには予め小さい額のお金を準備しておかなければならない。そこで、まわりのホテル斡旋の人にお金を崩してくれと頼み回ってみた。案の定、細いお金はない。の一点張りだったが、思ったより態度は悪くなかった。いや、逆にみんな結構親切で、あっちに行ってみろとか言ってくれたりもした。もし、これを天津でやってたら、ストレスが貯まるわ、換金はできないわで踏んだり蹴ったりだっただろう。っということで、しかたがないのでタクシーでホテルまで移動することにした。タクシーのおっさんの北京語も少し訛っていたけどまったく許容範囲で、四川のタクシーがまったく北京語喋れなかったことを思うとあまりにも幸先の良いスタートだった。タクシーの値段は100香港ドル(約1000円、つまり香港ドルに10倍すればいいくらい。)だった。しかし、実際のメーターの価格は70香港ドルで、なにやら荷物で30香港ドルと言ってる。少しイラっとし、ここで錦の御旗を掲げて聖戦するかどうか迷ったが、確かガイドブックにスーツケースを入れた時は別途要求されるという項目がちらっと記憶をよぎったので、どっちが錦を担いでるのかわからない状態になったら非常にバツが悪いのでやめた。こんなところが、僕の肝っ玉の小ささだが、たかが300円程度で変な悩みを持ったことにまた腹が立った。
ホテルについてまずチェックインをした。その時に、今まで英語頑張ってきたんだから中国語は使わずに英語でやろう!っと変な気合でチェックインに臨んだ。相手はまたもハーフっぽい人で英語も非常に流暢だった。思ったよりスムーズにチェックインが進み、もうすぐ手続きが終わりになった時に、突然中国語にスイッチしてみてっと親父に言われた。どういうリアクションをするのか面白そうなのでそれに答えてやってみると、めちゃくちゃうまい中国語で引き続き何事もなかったかのように手続きを進めていかれた。最後にデポジットのところでまた英語にスイッチされ、500香港ドルを渡して終了。タクシーとデポジットで残り500香港ドルになった。こんだけあれば天津なら飲み食い全然OKだが、こっちはマカオだったので無理だろうと思い、もう一度お金を引き出す。
部屋についてすぐに散歩に出ることにした。僕の父は腰が悪く、ウルトラマンの3分制限さながらで、散歩の距離もあまり長くなかったけど、とりあえずマカオについて肌で感じようとした。そこで見たマカオはすごい煌びやかで、大きなホテルが雨後の筍のごとくマカオを飾っていた。それを見ていると、まるで異世界にでも飛んできたみたいで、現実と幻想をどこで線引きしたらいいのかわからなくなる。その境界線を鈍らせる要因としてマカオのカジノがあるんだろな。そこに入っていく人たちは興奮と期待とで顔を紅潮させ、元手を何倍にするかの妄想で忙がしそうだった。僕もその熱気に引きこまれ、親父と共にカジノに入ってみることにした。僕はまったくカジノに興味もなければ、憧れもなかったので冷めた目でみていたが、そこにいる人達の異様さには惹かれた。まっこと一瞬の出来事で自分の掛金が倍になる。そんなこんなを考えていると、親父の腰のブザーが鳴った。そして時間を見るともう既に22時を回っていた。
腹が減ってきたので腹ごしらえをすることにした。おやじの腰が悲鳴を上げているみたいなので近くの中華料理の店に入ってびっくり。あまりの値段の高さに目が点になった。普通というか、まずい山西料理がやけに高い。ただのラーメンみたいなのが50香港ドルを超える。こんな糞ラーメン5元でぶーぶーいってた僕としては、食べられるはずがない。しかし、もう腹の減り具合も頂点に達していたので、しかたなく刀削麺を注文。親父も一本35香港ドルする燕京ビールを頼み、ささやかだけど糞高い晩飯を食べた。味は再度申し上げるがまずい。これなら南開大学の食堂のほうが100倍うまくて、20分の1の価格だ。このひとことだけでも一気にマカオに対する熱が冷めた。僕は基本的にコストパフォーマンスを重視するので、マカオは疎か香港もダメだろうと連想した。こうやってグチグチ言いながら親父と深センにかけるしかないで!としゃべりながら部屋に帰って寝た。
反省点:
こうやって自分で自分のマカオでの行動を見直すと、よくわかったことがある。それは、事前に情報をしっかりと集めて予定を立てていなかったことだ。これでは高い店に行き着くのも仕方ない。
しかし、調べてみても特にコストパフォーマンスが際立っているところはない。
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