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2012年1月11日水曜日

暗唱の応用性

僕は、中国語を勉強していた時に、よく本文を丸ごと暗唱していた。

自分から進んで暗唱していたわけではなくて、当時僕に中国語を教えてくれていた先生が、そうしなさいと言ってくれたので、それを実行しただけです。

しかし、これはかなり時間が必要で、しかも数日経つと忘れてしまう。

実際のところ、完璧に忘れるわけじゃないので、たまにブラッシュアップというか、チューニングをしてやらないといけない。

しかし、今思い返すと、暗唱ってすっごい応用が効く勉強方法じゃないかと思い返す。

もちろん、英語を勉強中の僕は、英語でもこの方法を使っている。

そして、最近、大学1年の時に学習していた数学をふと思い返した。

よくよく考えてみると、その当時、僕は数学が大っキライで、テストが近づくににつれて、胃のあたりが痛くなっていた。

その理由は、ただでさえわからない数学を、中国語でやらされていたから。


そして、よく言われるのが、数学は記号とか数字とかだから、語学なんて大して関係ないじゃないか。っと。

でも、実際のところ大ありなんですわ。

なぜなら、その数式を見てもさっぱりチンプンカンプン(ちなみに、チンプンカンプンって中国語の听不懂看不懂から来てるらしい)で、つまり、数式がわからんのだから、それを説明してもらわないといけない。
その説明が、中国語だからわからん。

っという、自然科学さっぱりな僕としては、まあ至極当然のことを言ってるのだけどね!


っで、その時に、しかたないから使った方法が暗唱だったのだ。

その時は、ほんと藁にでも縋りたい気持ちで、なんかええ方法ないか?っといろいろな本をひっくり返した。

っで、そのひっくり返した本から答えが出たわけじゃなくて、僕が大好きな小説、司馬遼太郎さんの「花神」からヒントを得た。

なんでそんな小説がヒントになるねん?っと思うかもしれないが、この小説は、以下のような内容。




周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。


この中の蘭学の学習ってのと、そこから自然科学へと発展させていく過程のどこかにそのヒントがあるはずや!
なぜなら、僕も大村氏と同じような境遇だよな!?だよな!?っと思いながら、そこからヒントを得ようとがんばった。

そして、得た答えが写経だ。

「寺の使いの者か!?」、ハゲか!?っと。

もう、見て読んでわからんのだから、その上の書き写す、臭う、食べる、聞く、脱ぐ、等色々と五感をフル稼働する方法を考えたわけだ。

そして、僕はまだ未熟者で、辞書のページを食べるとか、そういう山羊よろしくのストイックさは早い!!ということで、手を動かすという方法を使うことにした。

っで、やってみるとすごくいい。

それまでは、わかったつもりのものは、全くそうではなかった。

そう。噛み砕けていなかった。
食べ物でいうところのガムがそれだ。食ってるんだけど、飲み込めてなくて、少しのカロリーしか体内に入ってこない。

しかし、写経という咀嚼方法を知ってからは、第一段階の消化活動を行ったのだ。僕は歯を手に入れた。

それからというもの、数学の教科書を隅々まで写してやった。もう、丸裸にしてやったのだ。

そして、気づいたら、いろんな定義を丸暗記していた。
少しでもわからないところは、時間をおいて(例えば2日寝かせるとか)、もう一度写経をする。
それを何度も、何度も繰り返した。

様々な定理を駆使して証明する場合だと、定理が曖昧な時点で理解が難しい。
解ける解けないという問題の前に、理解できる、できないという導入問題自体を解決しない限り、その先に進めないのだ。


写経は理解するための最高のツールだとココで主張させてもらう。
そして、そのルーツを、つまりその原理を辿ると、暗唱ではないのか。

先程も言ったように、ひとつの物語を解き明かすために、さまざまな予備知識が必要で、その予備知識を覚えることが、理解に先駆けて成されるべきことなのだと。

ここまで言った上で、僕は物事を理解する上で、特に定義や理論を学ぶ上で最高の方法は暗唱だと結論づける。 今までにも述べたように、わかっているつもりは、頻繁に起こり得る。 いや、実際理解しているのだろう。

ただ、その理解の厚みは、暗唱することによって、そして、その暗唱する過程で、新しい発見をもたらしてくれる。

暗唱までの道のりに、写経だったり、音読だっあり、叫んだり、歌ったり、脱いでみたり、そうやって体全体で、対象物をこねくりまわす。

僕もよくわからないなりに脱いだ。そして、風通しを良くした上で、光合成を試みながら暗唱する。その様は、一見したら不審者だが、解放感から来る新しい空間を作り出した四畳半の支配者でもあり、苦学生の鏡なのだ。

さて、このままだと、いつまでもバカな話を繰り返しそうなので今日はこれくらいで!





今日の名言

物事は両面からみる。
それでは平凡な答えが出るにすぎず、
智恵は湧いてこない。
いまひとつ、とんでもない角度
つまり天の一角から見おろすか、
虚空の一点を設定してそこから見おろすか、
どちらかしてみれば問題はずいぶん変わってくる。 
 
by司馬遼太郎

2011年12月30日金曜日

現代社会を生きる。

今日で2011年も終わりですね!!
皆さん!良いお年を!

っで、今回の投稿は以前から下書きで書いていたけど、うまくまとまらなくて塩漬けにしていたものです。
うまくまとまったから公開しよう!ってわけではなくて、中途半端な状態だけど、ブログだからそこまで考える必要ないかーっと思って公開することにしますた。

今回の内容は、まだ仕事もしたことない僕が、どうやってこれからの日本を生き抜けばいいんや?っということを書いてます。ですので、既に仕事されてる方は、ケツ青いな!くらいで適当に読んでください♪




僕はブログを読むのが好きで、面白いブログはよくチェックしている。

金融日記もその中のひとつ。なかなか興味深い投稿があった。



リンクを見てもらえばわかる通り、本の紹介だ。本の内容は僕も読んだことが無いのでわからないけど、このブログの著者が簡単に解説してくれている。解説を読んで藤沢氏の意見をまとめると、金銭的報酬は従業員のパフォーマンスを下げる。その理由は、金銭的報酬が常に頭の中で大きなキャパシティを占め、柔軟な発想にブレーキをかける。っということらしい。
僕は今回、組織的からのアプローチではなく、個人からのアプローチで現代社会を生き抜く、という問題を考えてみたい。


これを読んだ後僕は、先日読んだバフェットの本が頭の中でちらついた。
バフェットが唱える投資とはバリュー投資。割安な会社の株を買って、長期保有し、目先の利益に囚われずに大きな利益をあげること。
この一文が藤沢氏のブログと、関連が深いように感じた。

仕事に対するモチベーションのベクトルが金銭的な報酬である場合は、投資でいうところの目先の利益、つまり、デイトレード等に代表される投機であって投資ではない。では、長期保有型の投資で言うと何になるのか。それは、好きな事を仕事にし、報酬とは無関係のところで自己満足を得ることだと思った。

もちろん、生活していく上でお金は大切だし、自分の自己満足と会社の利害が一致しているのかを確認するツールとしても報酬は大切だ。自分の自己満足が会社の利益と結びつかなければ、それはつまりただの自己満足で終わってしまう。
報酬とは会社から送られてくる自分への成績表なので、それ以外でも自分を評価できる基準を持つことは必要だ。別の言い方をすると、自分で自分の成績表も用意する。そこから、総合的に自分の仕事を評価し、自分のベクトルが正しい方向に向かっているのかを確認する。


これは企業評価する際にもとても大切な概念で、ひとつの指標に囚われず、いくつかの指標を読み取って総合的に判断をしていく。
それはつまり、無形資産の評価が今でも大きな論点となっているように、仕事で生み出した商品も現代では無形資産が産み出した価値に近いのではないだろうか。無形資産に近い生産物なのだから、それへの評価も自ずと困難になってくる。


ただ、僕はそれ以前の問題として、パフォーマンス(いい仕事してますねー的な)が何かすら明確に定義されてないような気もする。いや、定義されているが、それ自体が変な定義なのだ。
例を挙げると、IT系の業界のように、やっつけ仕事でスピードがあれば、エラー連続でもOKなのだぜ!結局のところ、顧客とうまく折り合い(エラー自体が仕様なんです!)ができ、それをうまく納得させる奴がパフォーマンスが高く、出来る奴!となっている。
ただ、その早い納期を売りにしてる会社なら、エラーに目を瞑る事が出来、仕事を早くすることがつまりパフォーマンスが高い人であり、結局のところ、属する会社によってパフォーマンスの定義すら変わるのではないか。
変な定義と言ってはみたものの、グローバル化でスピードが求められ、どれだけ完成度が高い商品でも、遅ければ意味が無い!なので、時代がそれを求めてる?ので、昔的ないい仕事は、現代ではまったくもっていい仕事ではないのだ。よって、やはり属する業界や企業によっては、それがパフォーマンスの定義となってしまう。だから、結局のところ、企業が求めるパフォーマンスと自分が思い描くいい仕事が不一致になるのは仕方がないことだと思って割り切らないといけない。

じゃあ、結局不一致なのだから、従業員としては金銭的な報酬を最大化させるために頑張ればええやん!っとなる。確かにその通りだ。
ただ、注意しないといけないことは、「金銭的報酬最大化」なる目標が、本当にそれを最大化させるのか、つまり、人はそれを達成するために、的確な選択ができているのか、という問題である。
なぜ、このような問題があるのか。それは、やはり先程も述べたように、人は短期的な利益を、つまり目先のにんじんに目がいってしまうからだろう。


じゃあどうすればいいのか。
僕なりに考えてみた。それは、定期的に自分のスキルが、自分の属する会社だけではなくて、もっと広い角度からどの程度評価されるのかを考えること。
もっと単刀直入に表現すると、明日首になってもすぐに仕事を見つけられるかどうか。
結局のところ、自分を評価者としてみた場合のパフォーマンスの最大化で、一番大きな評価点は、どこでもやっていける能力を身につけることだと感じる。例え、自己の評価で先程も述べたように、「好きな事を仕事にし、報酬とは無関係のところで自己満足を得ること」は、収入の確保があって初めて成り立つ評価ポイントなのだ。

どこでもやっていける能力を上げること、例えば語学がそれに当たると思うのだが、それを上げることはイコール自分の市場価値を上げることにつながる。そして、会社の一番重要な資源は人なので、結局のところ会社にも貢献していることにもなる。そして、会社はそんな人材が外に流れないように待遇の面で優遇するのか、それともやり甲斐があるプロジェクトを任せて自尊心を刺激するのか等、会社は人材の流出を防ぐために方法を考えなくてはいけない。それ自体が結局は、個人からすると成果物であり、モチベーションを上げる材料でもある。

っとまあ、仕事もしたことない奴が何いってんだ?ってなると思うけど、みんな最初は仕事したことないので許してください。これは、あくまで仕事もしたことない素人がグダグダ頭の中に浮かんだことを文章化しただけのことなのです。ただ、今はこう思ってる!っていうのは確かです。僕の主張を一言でまとめると、組織的な面と個人的な面の2つのアプローチで自分のパフォーマンスを評価し、現代社会を生き抜かないと!なのです。



名言ノート

優秀であることは、ひとつの行動ではなく習慣である。  
by アリストテレス


ローマ人の物語





最近、ブログの更新が滞っていた。一週間に一度は更新するぞ!っと思っていたけど、前回の投稿から8日過ぎた。
でも、この8日間一度も投稿に手を付けていなかったわけではなくて、付けたけどうまく文章を組み立てることができなかったので公開しなかった。でもまあ、中途半端な形であっても、更新頻度は1週間に一度は頑張って達成したい!

さて、最近のマイブームはローマ人の物語だ。
他の本も色々とつまみ食いしているので、ちょっと期間が空いてしまっていた。

僕は歴史小説が大好きで、今まではもっぱら日本のそれか、中国のを好んで読んでいた。
日本の歴史小説なら司馬遼太郎。
中国の歴史小説なら宮城谷昌光が大好物だ。
そこに、ヨーロッパの歴史小説の牙城、塩野七生さんが新たに追加された。



今までにも書評でローマ人の物語を取り上げたことがあるので内容は割愛するが、今回この6冊の文庫はユリウス・カエサルが主人公だ。
塩野七生さんが原史料に基づいて書いてくいてくれているので、ヨーロッパ史の勉強にもなるので非常にありがたい。
それに、塩野七生さんの脳を経由して伝わってくるユリウス・カエサル像が、とっても生き生きとしており、あたかもユリウス・カエサルと話を交わしているかのような錯覚に陥る。その同年代を生きた、カエサルの友人キケロ。彼の人間味あふれる手紙の往来も紹介されており、広義な意味での小説にしていては勿体無いくらいだ。

僕は、この本がたくさんの日本人に読まれることを望んでいる。
それに、ローマの文化は日本の文化に近いというか、日本人にもわかりやすい。
その理由は2つある。
1,法律を国家運営の柱としている
2,多神教を認めている
1については、今の時代当たり前だと思われるかもしれないが、そうでもない。例えば、宗教を柱としたアラブ周辺国や、まだまだ法律がうまく働いていない新興国等がそれだ。ローマはそれらの国とどのように関係を構築していくか?という問は現代人でも参考になる部分は多いと思われる。
2については、日本人のように米のひと粒ひと粒までに神が宿っているっと思うような人種は世界を見回しても少ないのではないだろうか。西欧のように、すでにキリスト教が普及してしまった人たちからすると、逆に実感としての理解ができないと思われる。この神という存在に対して、そして宗教という信教に対しても客観的に観察できる日本人は、他の信教がある国の人達にどのように接していけばいいのか、っという問題に解決の糸口を与えてくれるかもしれない。

そんな偉大な歴史を残してくれていたローマ、同時代の日本がまだ弥生時代だったことを思うと、愕然とする。


塩野七生さんは参考文献をも列挙してくれている。
そのまえがきとして書かれている内容が、すごく興味深い一文だったので以下に記すことにする。

「言語を使って成される表現は、意味を伝えるだけではなく音声も伝えるものであり、言い換えれば、意味は精神を、語品もふくめた音声は肉体生理を伝えることである。翻訳もこの概念で成されねばならない。私もルネサンス時代を書いていた当時から原史料最優先主義を通しているが、それも、その時代に生きた人々の音声、つまり肉体生理までも伝えたいと願ってきたからである。ただし、読み手に伝える前に、私自身が音声を聴かねばならず、肉体生理を感じ取らねばならない。書き手が感得しないで、どうして読み手に伝えられよう。結果として、この二巻を書くための勉強の大半は、キケロとカエサルの書き遺し言い遺したものの一字一句を、文字どおりなめるように読み、その間もそれをめぐって考える作業、つまり読み込む作業に費やされた。」


この文章を見ると、如何に塩野七生さんがローマの物語を編集するのにあたり、全身全霊を捧げて取り組んでいたのかが垣間見れる。文章が如何に素晴らしく、力強く、多彩で、その構築が如何に大変かがわかる。

そして、その中の一文が、中国語、英語を勉強する僕としては無視できない。
翻訳もこの概念で成されねばならない
伝えたいと思うなら、まずは相手の意味を読みとかなければならない。
簡単なようで、非常に難しいこのプロセスだけど、プロフェッショナル意識を持って学んでいかなければいけないな・・・っと思わせてくれた。

とにかくも、自分の生き方と比べてみると、僕ってなんてしょぼいんだ!!っと思わずにはいられない作品だった。


追記:
今回から本から拾ってきた名言を載せていこうと思う。
僕が本を読んでいる時にぐっと来た言の葉。

優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。

ローマ人の物語より

2011年12月9日金曜日

バフェットの本読んで悩む。

最近、牧野洋氏が書いた本をよく読む。
牧野洋氏について






中国で僕はファイナンシャルマネージメントを専攻していたので、株式投資については、理論的な面ではいろいろと学習してきた。
その時に知ったことは、株式指数を越える運用成績を達成するこの難しさだ。多くの投資ファンドもそれを達成することは困難で、数年を跨いで達成出来れば、かなりいい運用成績だと見なされる。
そのなかで、バフェットは常にそれを達成し続けた化け物投資家だ。



そんな彼に興味を抱いたのは五年くらい前で、その時、中国語で彼について書かれた伝記を読んだ。その時は母国語でなかったのと、僕の知識が足らなかったのために、彼に対する偉大さがよくわからなかった。そして、先日読み終えた牧野氏による伝記で彼の偉大さをしっかりと確認した。
そして同時に、自分が理論だけを学習して、実際に自分の身銭をはたかずに、のうのうと本だけを読んで満足してるところに情けなさを感じた。




話は脱線してしまうが、ここ最近の悩みもこの理論と実践にある。いや、正確に言うと、この悩みは以前からずっと持ち続けている。僕は理論オタクにならないために、テキスト以外の事実に則した物語を読むようにしている。そのなかのひとつが黒木亮氏の小説だ。物語を読んで、主人になったつもりで、自分ならこの案件をどうやって処理できるか等を妄想する。しかし、いくら黒木亮氏の小説が緻密な取材を根拠にしていても、その時点で使用された書類等を分析しない限りは、程度の低い妄想で終わってしまう。そう考えると自分が今学習している内容は、やっぱり表面上のことだけなんだろうなっと思う。この思いが時々本当に重く僕の上にのしかかって、はやく実務の世界に身をおいて活躍したいと気持ちが高ぶる。その想いがなぜ早く起業でもしないのかという考えに連想してしまう。ただ、進学を決めた時点でもう少しその気持ちを温めておくべきだと自分に言い聞かせている。そうと決まれば迷いを捨てて、とれあえずはテキストとにらめっこして、将来のために知識を蓄えればいいのに、やっぱりまだ悩む。その悩みも結局は一般論である実務第一なる考えに流されているからかもしれない。いや、一般論と言ったけど僕もそれを自覚しているから少し複雑なのかもしれない。ただ、僕は最高級の質の実務経験を手にするために進学を決意したのた。


五年後、十年後の僕は今の決断をどう見るのだろうか。
五年後の自分に後悔させないためにも死に物狂いに勉強しなくては。。

2011年11月30日水曜日

孫子兵法を読んでみた。


「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」などの名言で知られる『孫子』。春秋時代の孫武が著わし、二千年以上も読み継がれた名高い古典は世界最古の兵法書として、また人間界の鋭い洞察の書として親しまれ、今日もなお組織の統率法や人間心理の綾を読みとるうえで必携とされている。本書は、従来の宋時代のテキストより千年以上も古い前漢武帝時代の竹簡文に基づく精密な唯一の解説である。

孫子兵法を読んだ。

中国に留学している時、原文と現代中国語訳で読んだことがあったので今回は日本語での挑戦。

読んでみても、なんで日本で孫子兵法がこんなにも持て囃されているのかよくわからなかった。

正確に言うと、なぜビジネスの世界でそれが持て囃されていたのかという理由がわからないという意味。


僕の中で孫子兵法のエッセンスを抜き出すと次の3点になる。

1、できるだけ情報を集めろ。

2、情報をうまく使え。

3、相手にペースを握らせず、自分のペースに持ち込め。

全くもって現代でも通じるポイントだ。

でも、現代では情報を集めるのは簡単になったし、情報をうまく使う、ペースの主導権というのは経験や天賦の才能に負う部分が大きいと思われる。

っということは、現代で必要になる技術は如何にして情報を選択し、分析して活用するか。

確かに、あの時代であれだけの体系立てた書物はなかった様なのですごいというしかない。


だけど、やっぱりイマイチよくわからない。

どうやればその技術を身につけられるのか。

ので、他の本もあわせて読むことにした。


敵に勝つだけではなく究極には己に勝つこと卓越した戦略家的素質と隠者的性格を合わせもつ孫武と、復讐に憑かれた伍子胥。骨肉相食む戦乱の諸王、将軍、刺客等の人間群像を独自の解釈で鮮やかに甦らせる。

この本は孫子兵法の作者と言われている孫武の人生を描いた作品だ。

この小説の作者がいきいきと孫武の特徴を描くので、かなり楽しく読めた。

孫子兵法が書かれた理由、孫武は実は争いごとが嫌いだったということ、伍子胥や呉王との関係、周辺の列国、時代背景等が詳細に書かれているので、あたかもあの時代に入り込んだような気持ちになった。

そして、僕としては下巻の孫臏編のほうが面白く読めた。


「兵法家と兵学者は違う」孫武の時代から約150年後、後孫にあたる孫臏は龐涓の影響で兵法のおもしろさに目覚めた。やがて魏につかえ大将軍となった龐涓を訪ねた孫臏だが、その才能に嫉妬し恐れた龐涓の残酷なたくらみに嵌ってしまう。かつての友への復讐と兵法家としての意地を賭けた最後の戦いが始まる。

孫臏は初め外で狩りをして過ごすのが好きだった。そこからアマゾンの解説でも書かれているが、龐涓に出会い、先祖が書いた孫子兵法を読んで読書に目覚める。

僕がなぜ下巻の方に惹かれたかと考えたところ、彼の生き方の中にその技術を習得する方法が書かれているように思えたからである。

そして、孫臏と龐涓との両者を描いていることによって、より鮮明に技を習得するために適した心理状態を知ることができた。

ここで言った心理状態はすべての場面、技術、学問において共通して大切だ。

そしてその心理状態が、両者の学ぶ目的を決定し、物の見方を変えていく。



もし興味があれば孫子兵法だけではなく、小説の孫子も合わせて読むことをお勧めしたい。



さて、話は変わってこれを読んだ後、僕は現代にどのように、しかもビジネスの場面でどうやって生かせるのかを考えてみた。

っで、昨日の夜ビールを飲みながら布団に寝っ転がって妄想を繰り広げた。

でも、どの場面か、という具体的な場面がよく浮かんでこない。

いろいろ考えた挙句、考えついたのが口喧嘩についてだった。

我ながらアホな展開やと思わざる得ないが、口喧嘩と言っても千差万別。

ただ憎悪だけが先行した口喧嘩もあれば、相手に自分の意向を伝え、相手を動かすための口喧嘩。

前者は普通の口喧嘩。

後者は口喧嘩というより交渉と言ったほうがいいかもしれない。

なぜ口喧嘩を考えついたかというと、孫子兵法を自体が戦争を扱って書いたものだから、それに一番近い形で、しかも僕が実際体験したことじゃないと、よくわからんまんまやと考えたから。

でも、口喧嘩の2つの違いも戦争でも同じなような気がする。(昔の戦争では)

まずひとつが、復讐や憎悪による戦争。

もう一つが、ある目的のための戦争。

現代ではさすがにひとつめの戦争はなさそうなのだけど・・・・どうだろう。

っとこんな感じに僕は頭の中で展開していった。






では、話を口喧嘩に戻す。

所謂、普通の口喧嘩。

僕は平和主義だし、争いごとには関わりたくないけど、孫子兵法を少しわかった気になるために、そこらへんの飲み屋で口喧嘩してくる・・・ほど勇気はないので妄想する。

まず、口喧嘩での勝利とはなんなのか。

相手をコテンパンに言い負かして、プライドをギタギタにすることなのだろうか。

もちろん、日本人はお互いに気を使いあう民族だし、いい大人がそんなことのために時間を使うなんて相当なことがない限り滅多にないだろう。

そこまで考えて、僕はあることを思い出した。

それは、以前中国で口喧嘩というか、そんなものをタクシーの運転手に吹っかけられたこと。

いや、僕だけじゃなくて日本人の留学生なら誰でも同じような経験があると思う。

そう。日本の侵略問題がその時の論点だった。

タクシーの運転手は日本の侵略問題についてどう思ってる?っと聞いてきた。

こういう時の運転手は2タイプいる。

ひとつは、ただ日本人がどういうふうにその時のことを考えているか知りたい好奇心だけのおっさん。

もう一つは、日本人が昔した侵略問題を手に振りかざして、説教をするタイプ。

どっちが多いかはわからないが、両方共結局のところ面倒くさい。

僕は最初の1年間、この問題がよくわからず、ただ説教されるだけ、頷くだけを貫いていた。でも、毎度毎度のことのように聞かれるとイライラしてくる。


俺は日本人だが、その時代に生きてもいなければ、興味すらねーんだ!
しかも、こっちは金払ってタクシーで移動して、なんでお前の話になんか付き合わなくちゃいけないんだ。逆に時給払え!!


だから、僕は知識武装してタクシーの運転手と戦うことにした。

その時に孫子兵法を読んでいれば、こんなバカな行動は取らなかっただろう。

僕は、インターネットで日本の侵略問題について調べた。

そして、その中でまだ歴史的に証明されていない部分、相手が認識していることが事実と違う部分を洗い出した。それ以外にも、中国とスーダンの問題。彼らは戦争を批判しているのに、中国がいましていることは間接的に戦争に関与しているんだぜ!っという情報等を揃えて、中国語の表現を考えて・・・・

そして、決戦を挑みにいざタクシーへ!

いつもとは違い、相手の穴を探し、準備した武器を有効に使えるタイミングを探った。

そして、相手のおっさんも僕が聞き役に徹していると見るや、感情を込めて唾をボンネットに飛び越えん勢いで喋り立てる。

そして、ここだ!っと思うポイントで相手のおっさんの話を遮り、僕の武器を振りかざした。

そして、相手の今まで思っていた歴史観の問題点、論理の欠如、推理の幼稚さ、果ては中国の今抱えている問題にまで突っ込んで斬りかかった。

おっさんはタコのように真っ赤になって、怒鳴りだし、唾も僕の顔に噴射させてきた。

このおっさんの先祖はタコやったと、今飛んできたのも唾やなくて墨やと、変な攻撃で脳内を荒らされた。

おっさんは僕が調べてきた内容について大いに不満で、まったく根拠がないということを言っている。

っで僕は運ちゃんが言っていることも別段根拠はないし、それ以上に他の問題でいろいろと中国を攻撃してやった。その上で、運ちゃんという社会的な弱者がなにを言っているんだというような意味合いの言葉も投げてやった。

ここまで来ると、なんて性格の悪いやつだ!根性が腐っとる!っと思われるかもしれない。

しかし、当時の僕はずっと日本人を馬鹿にされてきた怒りで冷静にモノは見れなくなっていたし、何よりも日本人だって反撃するんやぞ!っというところをたまには見せないといけないっと考えていた。

もちろん、今ではそんな面倒くさいこと真っ平御免だし、なにより争いごとが嫌いだ。

おっさんは既にかなりヒートアップし、ハンドルをガンガン殴り、プライドと尊厳を一元の価値もないくらいに言われたので、既に話ではなくて、すべてが罵倒に変わっていた。




こりゃー困った。

僕としては、子犬のように運転手がシュンっとなる姿が見たかったのであって、逆上されて今にも殴りかかられそうな状態に自分の身を置くなんて考えてなかった。

幸い、すぐに目的地についたので無傷で済んだ。

僕も懲りずに、何度かこれと同じことを他のタクシーの運転手に仕掛けたことがあったけど、何度かやるとだんだんと面倒くさくなってきた。

いや、何よりもいつ攻撃されるかわからん!っという恐怖があった。

一応、口喧嘩的には僕のほうに分があったようで、大いにタクシーの運転手をコテンパンにやってやったと思った。

一度目は確かに、怖かったけど、見返してやった!っという自己満足があった。

でも、何度かバトルごとに、だんだんと味気なくなってきたし、なによりも怖い。

そして、僕は面倒くさいし、もうやめよーっと思って以後やらなくなった。


このバトルを孫武のように僕は評価してみたい。

まず、勝利の意味が不明確すぎる。

おっさんのプライドをボロボロにして何の意味があったのか?
この勝利が何をもたらすのか?

自己満足のために相当無駄な労力、時間を使い、危険もかなり背負った。(いつ殴られるかという恐怖もあった。)

100点で採点すると3点くらい。

メリット:
自己満足。
日本人としての尊厳。

デメリット:
面倒くさい。
時間の無駄。
危険。
タクシーの運ちゃんは二度と日本のことを好きになることはない。


そして、日本人としての尊厳っていうメリットもかなり不明確。
これを機に運ちゃんが日本人を認める、っという考えに行き着くわけがない。だから、結局これも、自己の中での尊厳を保てたに過ぎない。ってことは、自己満。


こうやって考えると、最初に提起した勝利とは?の問題で考えた勝利は全然ありがたくない勝利だということがわかった。


こうやって、タクシーの運転手と喋ることすら面倒くさくなっていたのだけど、ある時からまた話すようになった。

そして、この時はもう既に知識武装でやっつける!っという考えではなくなっていて、お互い尊重しあって、誤解を解いていく。っという目的を持って問題を話すようにした。

そうすると、運ちゃんも大満足で、日本人にもええやつおるんやな!みたいになった。

あの年代(40代くらい)は結構その問題に敏感で、日本人は最悪な民族!っと今だに思い込んでいる人もいる。それを少しでも変えていくという目的をもって話す。

こうすることによって、最初の喧嘩よりも非常に後味のよい喧嘩ができた。

そうやった後なら、いろいろ有益な話も聞けるし、憎悪も残らない。

もちろん、僕はただ媚を売っていたわけでもなくて、自分の意見をはっきりと言ったし、相手のプライドを傷つけるようなことはいわなかったし、相手の話にはしっかりと耳を傾けて理解を表した。

実際、こうやったほうが日本人はちゃんと中国のことを考えている!っという印象を持たせ、今までの日本人に対する怒りも冷ませられるんじゃないだろうか。

孫子兵法だと、ボッコボッコにできるように周到に準備すると書いてあるけど、あれは戦争。

僕がしてたのは、コミニケーションなので、何が優劣なのかの判断は自ずと変わる。

こうやって考えると、今なら何がベストの言い方で、目的は何がいいんだろう??

いや、あれはコミニケーションなんだから、両方共勝利、つまりWNWINの流れに持っていけるのが本当のコミニケーション上手やな!


なんてことをビール飲んで考えてた。

2011年11月23日水曜日

読書指針。何を読めばいいのか?

日本は幸運なことか、不幸なことかわからないが、一生を費やしても読み終わることができないほど本が溢れている。

もちろん、その中には読んでも全く意味が無い本(っというかこれが大部分なのだろう)も当然のように溢れている。

経済学上の言葉でOpportunity Cost(機会費用)というのがある。

掻い摘んで説明すると、一つのものを得るために、他の選択肢を犠牲にしなくてはならないという意味。

時間も大切な資源。

選んだ本を読むための時間は他に費やすこともできた。

つまり、本を読むという行為は自分の時間を使った投資なのである。

それなら、できるだけ自分にあった良書を選択したい。



前置きはこれくらいで♪

んで、僕はというと最近他のブログを参考にして本を読むようにしてる。

そのサイトの名前は読書猿


その中で「古典を勧める大人は無責任だ」という投稿を今日読んだ。


この方が投稿している記事は非常に面白いので、是非読んでみてほしい。

MBAの本棚やのに、ビジネス本を全然レビューしてない。。汗


2011年11月20日日曜日

グローバルマネーから見る中国の不動産

以下は僕の脳内妄想を文章化したもので、まったく根拠とかない。
ただの、遊びなのでよろしく。


各国のマネーの流れがどうなってるのか?
世界的なマネーの動きを観察することによって、僕の大好きな新興国がどうなってるのか知る。

マネーの大きな流れとしては、もちろんギリシャ国債からイタリアの財政危機と一番ホットな情報を扱うべきなのだろう。だけど、僕はその二国の現状がどうとかよりも、それによって新興国がどのような影響を受けるのかが知りたい。そんな好奇の目を持って、この度のヨーロッパの危機が中国の不動産バブルにどんなボディーブローをぶち込んだのか考察する。



まず、欧州の財務危機により更なるリスクを回避するため「ドル・キャリートレード」*1で新興国に流れていたマネーが一斉に引き上げる。マネーは人間で言うところの血液だ。もし、国の血液が滞れば正常な経済活動が不可能になる。これはつまり、新興国で成長の鈍化が見られるようになる。
もうひとつ大きな問題は、BRICsすべての対外与信残高のうち5割から8割を欧州系の金融機関が占めているという点。

この状態を噛み砕いて説明すると、脳梗塞でやべーのに、まだジャンクフード食ってメタボるのかというような感じ。


さて、中国に焦点を当ててみたい。


中国の最大の輸出先である欧州諸国が財政健全化、つまりムダを省こう!ってことになれば、需要の減少となる。また、欧州の金融機関の自己資本比率が向上すると、ボコボコになった銀行が他の国への投資なんて考えられるはずがなくなるので、中国への資金流入も減る。アメリカの米国もリーマンの後遺症で依然ダメ。中国の先行きがかなり不透明だ。




中国国内の情勢では、膨らむ地方政府の財務GDP比が6割に接近。
リーマン・ショックの時に中国は大々的にインフラ工事をやった。それによって、でっかい借金を作った中国だが、その時の借金を返済する時が来た。償還は11年と12年の合計で4割超を占めている。*2  これ以外にも、中国のインフレが止まらない。基準となる預金金利*3(1年)の3.5%よりも高い物価上昇率によって、実質銀行にお金預けといたら下がるやん!って状態だ。



次は、もう少しミクロな角度から中国を考える。中国の不動産の状況がどうなるか、それを知るにはコマツの決算短信を見ればいいと僕は考えた。コマツの重機を使ってインフラを整えていた中国。今まではずっと右肩上がりだったコマツだが、今季に入って売上が減少した。

コマツの2011年4月から9月までの決算短信

定性分析p4にある中国の欄にこう書かれている。

中国では、政府による金融引き締め政策が影響し、土木建設分野を中心に需要が減少したため、売上げは 前年同期を下回りました。


ほぉ。
やっぱり、中国の建設需要が下がってきているみたいだ。
っということは、建設需要が下がれば、今まで地方政府の大きな収入源だった土地開発が進まなくなる。つまり、地方政府の損益計算書も不動産バブルの先行きには欠かせない判断材料となる。



でも待てよ。
新たな建設が少なくなる→既存の建物に資金が流入する→不動産価格の高騰
にはならないのか?っと疑問に思った。

だが、中国の不動産価格は一般庶民には既に手が出ない域になっていると言われている。
そして、今不動産価格を押し上げている要因は異常な投資によるものなのだ。
では投資家は新たな建設が少なくなるという事態をどのように観察するだろうか?
単純に投資するほどの価値がなくなってしまった。だけで考えるだろうか。
僕は、この事態が深刻になれば地方政府の暴走が始まると思っている。

不動産価値が急激に下がれば、銀行のデベロッパーに対する貸し剥がしが始まる。
もしデベロッパーや建設会社が払えない事態になればデフォルトを起こす。
銀行は地方政府に泣きつくが、あの手この手で無視し、幾つかの銀行は潰す。

っとこんな構図になるような気がしてならない。

しかも、超ピッチで立てられた建物ばかりなので、おからばっかり。


っでもっとすごいのはこの後。

不動産バブルが弾ければ、今までの経済成長率を維持することはできなくなる。

失業率がガンガン上がるし、不動産価格の下落によって銀行の更なる不良債権が増える。

政府に対しての不満が国民の中で顕著に現れてくる。(物価上昇も相俟って


今まで中国の政治が安定していたのはすべて経済成長のおかげ。
その旨味が消えた瞬間、今まで我慢していたものが吹き出す。
そうなると・・・どういう事態が起こるんだろう。



あーまた関連資料でも読んで脳内妄想を繰り広げよっと。




2011年10月30日日曜日

名言集

優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。

ローマ人の物語より

人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。
 by司馬遼太郎

優秀であることは、ひとつの行動ではなく習慣である。  
by アリストテレス

自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。
自分にとって、図書館と古本屋さんさえあれば、それで十分であった。
 
by司馬遼太郎

物事は両面からみる。
それでは平凡な答えが出るにすぎず、
智恵は湧いてこない。
いまひとつ、とんでもない角度
つまり天の一角から見おろすか、
虚空の一点を設定してそこから見おろすか、
どちらかしてみれば問題はずいぶん変わってくる。
  
by司馬遼太郎

私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、
私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである...

by司馬遼太郎

敗北とは、敵に敗れるよりも自分自身に敗れるものなのである。
byローマ人の物語より

確固とした自負心のみが、劣等感に悩むという「地獄」に落ちるのを防ぐのだ。
そして過度の劣等感ほど状況判断を狂わせるものもないのである。

byローマ人の物語より

話題にしようと思っていることについて、もっともっと学ぶこと。
知れば知るほど、一層真剣になり、情熱を燃やすようになる。

byD.カーネギー

熱意があるように降る舞え、そうすればすべての行動に、自然に熱がこもるようになるだろう。
byD.カーネギー

2011年10月29日土曜日

本日の読書



プレゼン力を磨きたいと思って読んだ一冊。
中国に留学していた時、中国人が堂々と授業で与えられた課題を(パワーポイントは文字ばっかだったけど)プレゼンをする姿に劣等感を抱いていた。言い訳だが、中国語ということもあり、当時は言葉が億劫になってもしかたがないっとばかり思っていた。だが、今はもう日本に帰ってきてそんな言い訳はできないし、将来的には英語や中国語でプレゼンする機会があると思うので、まずは日本語から!っと思い、一番読みやすそうな本を図書館で選んだ。

僕の思惑通り、この本はかなり読みやすく、今からでも実行できそうなことばかり書いていた。

取ったメモは以下に。

1,目的(つまり話す内容)を聴衆の性質に合わせる。つまり、話す相手の興味を熟知する。例えば相手が高校生なのか、大学生なのか、ビジネスマンなのか、主婦なのか。そのグループについてまず下調べが必要である。そこから自分とそのグループとの関連性を見出し、彼らに、彼らの興味がある情報を彼らに合った形(彼らが理解できるワードを散りばめながら)で提供する。

2,話し方のポイントは 
(1)話しの冒頭に、話をわかりやすくするための具体的な<例示>をいれる。
(2)明確な言葉を使って<要点>を述べる
(3)<理由>を述べる。

3,自分の人生における出来事を実例にする。その際、経験をひとつに絞るのがポイント。

4,誰が、いつ、どこで、なにを、どういうふうに、なぜ  という構造に注意する。
これも今見返すと、プレゼンで緊張する人はそれどころじゃねーよ!ってなると思いますが、これはつまり、日々こういうふうにしゃべるように努力して、練習しましょうよってことだと僕は解釈しますた。

5,言葉でその話を描き、相手に絵として頭にインパクトを叩きこむようにする。

6,話題の範囲をしっかりと決めて、その範囲から脱線しないようにする。

7、要点を力強く、確信を持って述べる。

8,架空の名前を使って話をリアルにする。

9,聴衆が期待している理由や利益を表す。
これはつまり、僕の話を聞いてなんか得られますよってのがない限り、人は僕の話に熱中しないってこと。

10,よく知られているものに例える。これも、1で述べたように各グループを事前に知り尽くしてから実行する。

11,かならず成功すると自分に言い聞かす。
これも、心理学の観点から自分自信を洗脳しちゃおうってこと。アスリートとかもよく利用してるみたい。
例えば、ガチガチに演台に向かうんじゃなくて、さも今から話すのがウキウキしてやべーみたいな顔と体を作る努力が大切だと言っている。顔や体、そして心の洗脳によって、脳が勘違いを起こして滑るようにしゃべりだせるという秘技らしい。僕もジョブズさんのプレゼンに憧れているので、もうこれは胡散臭くてもやるしかないと思った。

12,話に自己を投入する。これは、3で述べたことと似ているが、違うことといえば経験だけではなくて、自分の熱い思いとか、そういうのも放りこんでいけよってことだと思う。熱い気持ちがないと、そして伝えたいという気持ちが無ければ表情や仕草になって現れて、無意識のうちに聴衆が感じ取ってしまうということ。

13、準備はものすごく大切だが、丸暗記はよくない。キーワードと話す順序だけをしっかりと把握して、後は自然に。

14,人前で話す恐怖についての事実
(1)苦手なのはおまえだけやないで
(2)ある程度の恐怖、緊張は逆にええ要素やねんで
(3)プロも恐怖が完全になくならないって言ってるで
(4)演説の恐怖は完全にはなくならんけど、慣れはするで

っとこんな感じでした。

寡黙が美とされてきた日本人としては、すこし戸惑いもあり、恐怖もあると思う。
でも、そんなこと言ってたら相手に何も伝えられない。
もちろん、別にアメリカのプレゼン方をまるまるマネする必要はないと思う。
いや、もっと踏み込んで考えると日本風のプレゼンスタイルを作らなければならない。






図書館で雑誌でも読もうかなーっと取った一冊。かなり飛ばしながら読んだ。
僕の中で雑誌を読む目的は、比較的最新のニュースを知るためなのだが、その情報はどのくらい良質なのかはよくわからない。

いつものように気になる部分のメモを取った。

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雑誌の中に、名越康文さんの「自分に振り回されない」心理学という記事があり、少し気になったのでメモした。

多くの会社員が会社を自己のアイデンティティにしていた。しかし、今は変化が必要である。
ブッタの教え、そして仏教ではたったひとつの法則である「無常」
無常とは自分が好む好まざるも、すべては変化するということ。

私利私欲は悪くないが、それだと事業は永存できない。即ち、成功、利益の前に仕事の意義を考える。

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今見ると当たり前のことが書かれてるだけだなーっと思った。
なぜこの記事をメモしたのか考えると、アイデンティティという言葉に惹かれたからではないかと思う。
人生の中で、圧倒的に仕事と睡眠の時間が多いことは周知の通りだが、仕事自体をアイデンティティと考え行動することは果たして今の時代正しいのかどうか。それに対する答えが自分の中ではまだ全然わかっていない。
何が正しいか、っという言い方をすると少し哲学的な問題にすり変わりやすいので(いろんな解釈があるため)、ここでは正しいの定義を充実した社会生活ということでひとまず考える。その定義に絞って考えると幾分かは問題が易しくなる。

っで、仕事をアイデンティティと捉えると、もちろん人生の大半の時間が仕事で過ごすことになるので、会社への帰属意識に囚われさえしなければ、まったくもって的を得ていると思う。
もちろん、この会社への帰属意識を持つこと自体が悪ではなくて、僕的にはこれが自分の行動範囲を狭める一因になると言いたいだけなのだ。帰属意識が会社だけだというのは少し勿体無い気がする。
何が言いたいかというと、仕事のアイデンティティ=会社への貢献ではなくて、自分の仕事のやりがい、もっと突き詰めると自己の分野への帰属という考え方があってもいいんじゃないかなっと。例えて言えば、会社のためとかそんな小さな範囲ではなくて、技術の進歩のためだとか、日本の知的財産の活用を促進するためとかの、所謂、志への帰属。その志を持つ者どうしでコミニティーを形成して、アイデンティティを持ち、会社一辺倒の自己からの脱却を目指すのがいいんじゃないかなっと。
これなら、会社の待遇が昔と違う!なんていう鬱憤からも多少は報われるだろうし、なにより自己を高める意義を見いだせる。それに、そういう人が多くなれば、自分に適したコミニティーも見つけやすくなるだろうし、結果的に産業の発展に大きく影響を与えられる。

そんなことを考えながらこの雑誌を読んでいた。

<続きはまた後で>



友人に勧められて今日は一巻目を読んだ。

僕は中国に留学していたくせに、文革あたりの歴史については屁のような知識しかなかった。
それがこの本を読んでから、手に取るように当時の惨劇が頭の中に浮かんでくるようだった。それも著者が緻密な取材と分析を行なってくれたおかげである。

封建主義と資本主義を批判し社会主義を推し進める毛沢東によって、多数の文化人が死んだ。
まったく何も悪いことをしていないのに、無産者によって知識人達が無実の罪を着せられ、葬られる。
外国語がわかると、海外のスパイだと言われ、自国の生産性を向上させるために他国の技術を導入しようとするとこれまたスパイだとなる。その中には周恩来が華僑に対して自国の発展のために帰ってきてくれ!と言われ、熱い愛国心を燃やしながら帰ってきた人たちもいるという。なんて不憫な。。。いや、もう不憫なんて言葉では片付かないほど惨憺たる光景だった。

これを読んで、なんて幸せな時代に生まれたんだろうっと思ってしまう。
不景気だとか、不自由だとか、これを読んでしまうとその悩みですら幸せに感じられる。

中国に滞在している人や、不平ばっかり言ってる人にはお勧めしたい一冊。