2012年1月12日木曜日
千葉大学中国人留学生の会に参加してきた
1月8日、バイト先の中国人の方から、千葉大学の中国人留学生に参加しよう!っというお誘いを受けて、行ってきた。
思っていたよりも、人数が多く、たくさんの中国人と知り合うことができて、かなり有意義な時間だったぜ!いえーい。
日本人も含めて、会場には200人くらい?の人が居て、ソフトドリンクと食べ物が出た。
日本人の参加者は、非営利団体の留学生支援団体やら、千葉県議会の人やら、中国に留学していた時に、こんな大掛かりな留学生会があればよかったのになーっと思った。
もちろん、大部分の参加者は中国人で、この留学生会を金銭面でバックアップしているのも中国人のOBの方々だ。そして、この会でささやかなくじ引き大会が行われていたのだけど、景品もかなり魅力的で、僕も一等の任天堂3DSがほしかった。。。
まあでも、そんな会が欲しい欲しいと言った所で、そもそも自分が行動を起こさなかったことが一番の原因なのだ。
その留学生会で、ちっちゃな子供達がいた。
子供たちの中国語がびっくりするほど流暢で、この歳(7歳の子が特に)で既にバイリンガルかよ!っと驚いた。
日本語か中国語どっちが得意?っと聞いたところ、たぶん中国語?あ、日本語かも、だと。完璧なるバイリンガルだった。。。
そんなこんなしていると、日本人で中国に留学していた、ということでスピーチを頼まれた。
こんな大勢の前でしゃべる機会なんて滅多にない!っと思い、やらせてもらうことにした。
たったの1分くらいでいいということだったので、自己紹介と留学生に贈る言葉をメモした。
っで、その時に思ったのだけど、こういう中国語でのスピーチは、前もって準備しておくことが大切だと感じた。どこでも使える挨拶で、少しユーモアを含めた定型文を作っておけば、いつスピーチを頼まれても応用を効かせれる。
その大まかな流れを一度暗記しておき、何度も練習して、アドリブで一言二言付け加えれば、OKだ♪
緊張もするし、恥ずかしいのでスピーチは苦手だけど、とりあえずやってみて思ったことは、場数をこなすこと、その後にフィードバックすることで、どんどん上手くなっていけそうだ。
気乗りしないことも、経験値的にプラスになるなら、とりあえずやってみること。
これが、その日の体験から得られた教訓だ。
その後は、中国人留学生との飲み会。
これもすっごく楽しかった。
日本人ということもあり、のめのめ!っと強要されることもなく、まったり飲めたからかな。
本日の名言
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、
私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである...
by司馬遼太郎
2012年1月11日水曜日
暗唱の応用性
僕は、中国語を勉強していた時に、よく本文を丸ごと暗唱していた。
自分から進んで暗唱していたわけではなくて、当時僕に中国語を教えてくれていた先生が、そうしなさいと言ってくれたので、それを実行しただけです。
しかし、これはかなり時間が必要で、しかも数日経つと忘れてしまう。
実際のところ、完璧に忘れるわけじゃないので、たまにブラッシュアップというか、チューニングをしてやらないといけない。
しかし、今思い返すと、暗唱ってすっごい応用が効く勉強方法じゃないかと思い返す。
もちろん、英語を勉強中の僕は、英語でもこの方法を使っている。
そして、最近、大学1年の時に学習していた数学をふと思い返した。
よくよく考えてみると、その当時、僕は数学が大っキライで、テストが近づくににつれて、胃のあたりが痛くなっていた。
その理由は、ただでさえわからない数学を、中国語でやらされていたから。
そして、よく言われるのが、数学は記号とか数字とかだから、語学なんて大して関係ないじゃないか。っと。
でも、実際のところ大ありなんですわ。
なぜなら、その数式を見てもさっぱりチンプンカンプン(ちなみに、チンプンカンプンって中国語の听不懂看不懂から来てるらしい)で、つまり、数式がわからんのだから、それを説明してもらわないといけない。
その説明が、中国語だからわからん。
っという、自然科学さっぱりな僕としては、まあ至極当然のことを言ってるのだけどね!
っで、その時に、しかたないから使った方法が暗唱だったのだ。
その時は、ほんと藁にでも縋りたい気持ちで、なんかええ方法ないか?っといろいろな本をひっくり返した。
っで、そのひっくり返した本から答えが出たわけじゃなくて、僕が大好きな小説、司馬遼太郎さんの「花神」からヒントを得た。
なんでそんな小説がヒントになるねん?っと思うかもしれないが、この小説は、以下のような内容。
周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。
この中の蘭学の学習ってのと、そこから自然科学へと発展させていく過程のどこかにそのヒントがあるはずや!
なぜなら、僕も大村氏と同じような境遇だよな!?だよな!?っと思いながら、そこからヒントを得ようとがんばった。
そして、得た答えが写経だ。
「寺の使いの者か!?」、ハゲか!?っと。
もう、見て読んでわからんのだから、その上の書き写す、臭う、食べる、聞く、脱ぐ、等色々と五感をフル稼働する方法を考えたわけだ。
そして、僕はまだ未熟者で、辞書のページを食べるとか、そういう山羊よろしくのストイックさは早い!!ということで、手を動かすという方法を使うことにした。
っで、やってみるとすごくいい。
それまでは、わかったつもりのものは、全くそうではなかった。
そう。噛み砕けていなかった。
食べ物でいうところのガムがそれだ。食ってるんだけど、飲み込めてなくて、少しのカロリーしか体内に入ってこない。
しかし、写経という咀嚼方法を知ってからは、第一段階の消化活動を行ったのだ。僕は歯を手に入れた。
それからというもの、数学の教科書を隅々まで写してやった。もう、丸裸にしてやったのだ。
そして、気づいたら、いろんな定義を丸暗記していた。
少しでもわからないところは、時間をおいて(例えば2日寝かせるとか)、もう一度写経をする。
それを何度も、何度も繰り返した。
様々な定理を駆使して証明する場合だと、定理が曖昧な時点で理解が難しい。
解ける解けないという問題の前に、理解できる、できないという導入問題自体を解決しない限り、その先に進めないのだ。
写経は理解するための最高のツールだとココで主張させてもらう。
そして、そのルーツを、つまりその原理を辿ると、暗唱ではないのか。
先程も言ったように、ひとつの物語を解き明かすために、さまざまな予備知識が必要で、その予備知識を覚えることが、理解に先駆けて成されるべきことなのだと。
ここまで言った上で、僕は物事を理解する上で、特に定義や理論を学ぶ上で最高の方法は暗唱だと結論づける。 今までにも述べたように、わかっているつもりは、頻繁に起こり得る。 いや、実際理解しているのだろう。
ただ、その理解の厚みは、暗唱することによって、そして、その暗唱する過程で、新しい発見をもたらしてくれる。
暗唱までの道のりに、写経だったり、音読だっあり、叫んだり、歌ったり、脱いでみたり、そうやって体全体で、対象物をこねくりまわす。
僕もよくわからないなりに脱いだ。そして、風通しを良くした上で、光合成を試みながら暗唱する。その様は、一見したら不審者だが、解放感から来る新しい空間を作り出した四畳半の支配者でもあり、苦学生の鏡なのだ。
さて、このままだと、いつまでもバカな話を繰り返しそうなので今日はこれくらいで!
今日の名言
物事は両面からみる。
それでは平凡な答えが出るにすぎず、
智恵は湧いてこない。
いまひとつ、とんでもない角度
つまり天の一角から見おろすか、
虚空の一点を設定してそこから見おろすか、
どちらかしてみれば問題はずいぶん変わってくる。
by司馬遼太郎
自分から進んで暗唱していたわけではなくて、当時僕に中国語を教えてくれていた先生が、そうしなさいと言ってくれたので、それを実行しただけです。
しかし、これはかなり時間が必要で、しかも数日経つと忘れてしまう。
実際のところ、完璧に忘れるわけじゃないので、たまにブラッシュアップというか、チューニングをしてやらないといけない。
しかし、今思い返すと、暗唱ってすっごい応用が効く勉強方法じゃないかと思い返す。
もちろん、英語を勉強中の僕は、英語でもこの方法を使っている。
そして、最近、大学1年の時に学習していた数学をふと思い返した。
よくよく考えてみると、その当時、僕は数学が大っキライで、テストが近づくににつれて、胃のあたりが痛くなっていた。
その理由は、ただでさえわからない数学を、中国語でやらされていたから。
そして、よく言われるのが、数学は記号とか数字とかだから、語学なんて大して関係ないじゃないか。っと。
でも、実際のところ大ありなんですわ。
なぜなら、その数式を見てもさっぱりチンプンカンプン(ちなみに、チンプンカンプンって中国語の听不懂看不懂から来てるらしい)で、つまり、数式がわからんのだから、それを説明してもらわないといけない。
その説明が、中国語だからわからん。
っという、自然科学さっぱりな僕としては、まあ至極当然のことを言ってるのだけどね!
っで、その時に、しかたないから使った方法が暗唱だったのだ。
その時は、ほんと藁にでも縋りたい気持ちで、なんかええ方法ないか?っといろいろな本をひっくり返した。
っで、そのひっくり返した本から答えが出たわけじゃなくて、僕が大好きな小説、司馬遼太郎さんの「花神」からヒントを得た。
なんでそんな小説がヒントになるねん?っと思うかもしれないが、この小説は、以下のような内容。
周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。
この中の蘭学の学習ってのと、そこから自然科学へと発展させていく過程のどこかにそのヒントがあるはずや!
なぜなら、僕も大村氏と同じような境遇だよな!?だよな!?っと思いながら、そこからヒントを得ようとがんばった。
そして、得た答えが写経だ。
「寺の使いの者か!?」、ハゲか!?っと。
もう、見て読んでわからんのだから、その上の書き写す、臭う、食べる、聞く、脱ぐ、等色々と五感をフル稼働する方法を考えたわけだ。
そして、僕はまだ未熟者で、辞書のページを食べるとか、そういう山羊よろしくのストイックさは早い!!ということで、手を動かすという方法を使うことにした。
っで、やってみるとすごくいい。
それまでは、わかったつもりのものは、全くそうではなかった。
そう。噛み砕けていなかった。
食べ物でいうところのガムがそれだ。食ってるんだけど、飲み込めてなくて、少しのカロリーしか体内に入ってこない。
しかし、写経という咀嚼方法を知ってからは、第一段階の消化活動を行ったのだ。僕は歯を手に入れた。
それからというもの、数学の教科書を隅々まで写してやった。もう、丸裸にしてやったのだ。
そして、気づいたら、いろんな定義を丸暗記していた。
少しでもわからないところは、時間をおいて(例えば2日寝かせるとか)、もう一度写経をする。
それを何度も、何度も繰り返した。
様々な定理を駆使して証明する場合だと、定理が曖昧な時点で理解が難しい。
解ける解けないという問題の前に、理解できる、できないという導入問題自体を解決しない限り、その先に進めないのだ。
写経は理解するための最高のツールだとココで主張させてもらう。
そして、そのルーツを、つまりその原理を辿ると、暗唱ではないのか。
先程も言ったように、ひとつの物語を解き明かすために、さまざまな予備知識が必要で、その予備知識を覚えることが、理解に先駆けて成されるべきことなのだと。
ここまで言った上で、僕は物事を理解する上で、特に定義や理論を学ぶ上で最高の方法は暗唱だと結論づける。 今までにも述べたように、わかっているつもりは、頻繁に起こり得る。 いや、実際理解しているのだろう。
ただ、その理解の厚みは、暗唱することによって、そして、その暗唱する過程で、新しい発見をもたらしてくれる。
暗唱までの道のりに、写経だったり、音読だっあり、叫んだり、歌ったり、脱いでみたり、そうやって体全体で、対象物をこねくりまわす。
僕もよくわからないなりに脱いだ。そして、風通しを良くした上で、光合成を試みながら暗唱する。その様は、一見したら不審者だが、解放感から来る新しい空間を作り出した四畳半の支配者でもあり、苦学生の鏡なのだ。
さて、このままだと、いつまでもバカな話を繰り返しそうなので今日はこれくらいで!
今日の名言
物事は両面からみる。
それでは平凡な答えが出るにすぎず、
智恵は湧いてこない。
いまひとつ、とんでもない角度
つまり天の一角から見おろすか、
虚空の一点を設定してそこから見おろすか、
どちらかしてみれば問題はずいぶん変わってくる。
by司馬遼太郎
2011年12月30日金曜日
ローマ人の物語
最近、ブログの更新が滞っていた。一週間に一度は更新するぞ!っと思っていたけど、前回の投稿から8日過ぎた。
でも、この8日間一度も投稿に手を付けていなかったわけではなくて、付けたけどうまく文章を組み立てることができなかったので公開しなかった。でもまあ、中途半端な形であっても、更新頻度は1週間に一度は頑張って達成したい!
さて、最近のマイブームはローマ人の物語だ。
他の本も色々とつまみ食いしているので、ちょっと期間が空いてしまっていた。
僕は歴史小説が大好きで、今まではもっぱら日本のそれか、中国のを好んで読んでいた。
日本の歴史小説なら司馬遼太郎。
中国の歴史小説なら宮城谷昌光が大好物だ。
そこに、ヨーロッパの歴史小説の牙城、塩野七生さんが新たに追加された。
今までにも書評でローマ人の物語を取り上げたことがあるので内容は割愛するが、今回この6冊の文庫はユリウス・カエサルが主人公だ。
塩野七生さんが原史料に基づいて書いてくいてくれているので、ヨーロッパ史の勉強にもなるので非常にありがたい。
それに、塩野七生さんの脳を経由して伝わってくるユリウス・カエサル像が、とっても生き生きとしており、あたかもユリウス・カエサルと話を交わしているかのような錯覚に陥る。その同年代を生きた、カエサルの友人キケロ。彼の人間味あふれる手紙の往来も紹介されており、広義な意味での小説にしていては勿体無いくらいだ。
僕は、この本がたくさんの日本人に読まれることを望んでいる。
それに、ローマの文化は日本の文化に近いというか、日本人にもわかりやすい。
その理由は2つある。
1,法律を国家運営の柱としている
2,多神教を認めている
1については、今の時代当たり前だと思われるかもしれないが、そうでもない。例えば、宗教を柱としたアラブ周辺国や、まだまだ法律がうまく働いていない新興国等がそれだ。ローマはそれらの国とどのように関係を構築していくか?という問は現代人でも参考になる部分は多いと思われる。
2については、日本人のように米のひと粒ひと粒までに神が宿っているっと思うような人種は世界を見回しても少ないのではないだろうか。西欧のように、すでにキリスト教が普及してしまった人たちからすると、逆に実感としての理解ができないと思われる。この神という存在に対して、そして宗教という信教に対しても客観的に観察できる日本人は、他の信教がある国の人達にどのように接していけばいいのか、っという問題に解決の糸口を与えてくれるかもしれない。
そんな偉大な歴史を残してくれていたローマ、同時代の日本がまだ弥生時代だったことを思うと、愕然とする。
塩野七生さんは参考文献をも列挙してくれている。
そのまえがきとして書かれている内容が、すごく興味深い一文だったので以下に記すことにする。
「言語を使って成される表現は、意味を伝えるだけではなく音声も伝えるものであり、言い換えれば、意味は精神を、語品もふくめた音声は肉体生理を伝えることである。翻訳もこの概念で成されねばならない。私もルネサンス時代を書いていた当時から原史料最優先主義を通しているが、それも、その時代に生きた人々の音声、つまり肉体生理までも伝えたいと願ってきたからである。ただし、読み手に伝える前に、私自身が音声を聴かねばならず、肉体生理を感じ取らねばならない。書き手が感得しないで、どうして読み手に伝えられよう。結果として、この二巻を書くための勉強の大半は、キケロとカエサルの書き遺し言い遺したものの一字一句を、文字どおりなめるように読み、その間もそれをめぐって考える作業、つまり読み込む作業に費やされた。」
この文章を見ると、如何に塩野七生さんがローマの物語を編集するのにあたり、全身全霊を捧げて取り組んでいたのかが垣間見れる。文章が如何に素晴らしく、力強く、多彩で、その構築が如何に大変かがわかる。
そして、その中の一文が、中国語、英語を勉強する僕としては無視できない。
翻訳もこの概念で成されねばならない
伝えたいと思うなら、まずは相手の意味を読みとかなければならない。
簡単なようで、非常に難しいこのプロセスだけど、プロフェッショナル意識を持って学んでいかなければいけないな・・・っと思わせてくれた。
とにかくも、自分の生き方と比べてみると、僕ってなんてしょぼいんだ!!っと思わずにはいられない作品だった。
追記:
今回から本から拾ってきた名言を載せていこうと思う。
僕が本を読んでいる時にぐっと来た言の葉。
優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。
ローマ人の物語より
2011年12月4日日曜日
中国語の勉強
英語の勉強ばっかりやってるけど、中国語は大丈夫かな・・・?
っと最近心配になってきた。
日本に帰ってくれば中国語が留学していた時のように話せなくなるという話をよく聞く。
今のところ、バイトで中国語の入力や中国語で本を読んだりすることがあるので、自覚できるほどのレベルダウンはないようだ。
でも、それと同時に進歩もしてない。
これからは中国語を勉強せずに英語を勉強したほうが費用対効果は高そうだけど、それなりのレベルにもっていけたのだから、たまには中国語のボキャブラリーを増やしたりとスキルアップを図ったりしないともったいないな。
僕が中国語を勉強する時に使うサイトは土豆の経済関係の動画。
むこうに居るときは毎日のようにCCTV2の财经频道を見ていた。
だから、CCTV2をリアルタイムで見たいのだけど、日本ではネット上で見れないようだ。
それ以外にもビジネス中国語を学びたければ、新浪财经を見るのがいい。
自分の興味があるニュースを選択して、わからない単語を調べてノートに単語帳を作る。
その時に便利なのが、このオンライン辞書。
ピンインがわからない時はこのサイトの手書き入力で漢字を検索すると一発で出る。
しかも、このサイトにある有志で作られた単語帳がかなり便利。
HSKのレベルごとに必須単語を作ってくれているので、それを元に単語量を増やすといい。
っと最近心配になってきた。
日本に帰ってくれば中国語が留学していた時のように話せなくなるという話をよく聞く。
今のところ、バイトで中国語の入力や中国語で本を読んだりすることがあるので、自覚できるほどのレベルダウンはないようだ。
でも、それと同時に進歩もしてない。
これからは中国語を勉強せずに英語を勉強したほうが費用対効果は高そうだけど、それなりのレベルにもっていけたのだから、たまには中国語のボキャブラリーを増やしたりとスキルアップを図ったりしないともったいないな。
僕が中国語を勉強する時に使うサイトは土豆の経済関係の動画。
むこうに居るときは毎日のようにCCTV2の财经频道を見ていた。
だから、CCTV2をリアルタイムで見たいのだけど、日本ではネット上で見れないようだ。
それ以外にもビジネス中国語を学びたければ、新浪财经を見るのがいい。
自分の興味があるニュースを選択して、わからない単語を調べてノートに単語帳を作る。
その時に便利なのが、このオンライン辞書。
ピンインがわからない時はこのサイトの手書き入力で漢字を検索すると一発で出る。
しかも、このサイトにある有志で作られた単語帳がかなり便利。
HSKのレベルごとに必須単語を作ってくれているので、それを元に単語量を増やすといい。
登録:
投稿 (Atom)
